2006年10月12日

油断の始まり

前回の続きです。

2003年9月

チームの状態は決して上向きではなかった頃に、
重要大会が2つ続く2003年9月。

最初は地域で一番お祭り的要素の高い大会。
その『5年生以下部門』にエントリーした我がチーム。
対戦相手は下馬評の低いチームでした。

何を根拠に評価が低いのか? 私はそれを知る由もありませんでしたが、
コーチ陣やチーム役員は口々にクジ運の良さを喜んでいる。

プログラムの選手名簿を見ると、相手の登録人数は11人。
全員5年生の顔ぶれ。
我がチームは登録枠一杯の20人。5年生と4年生が入っている。

更に相手はここ数年の成績が芳しくなく、人数が少ないのもあったのか、
我がチームは『組み易し』 と判断したのだろう。

良く言えば相手を呑んでかかっているし、悪く言えば舐めてかかっている。
私はそうした空気になんとなく胸騒ぎがしたのですが・・

勝てばその日のうちにもう1試合ある。
初戦を前に周囲は早くも2戦目の算段をしていた。
負ければ終わりのトーナメントなのですが。

先発オーダーはレギュラー組で固め、敢えてメンバーを落とす事はなかった。
少しは安堵する。

春先から5番を打っていたゲンジ。
夏に調子が下降気味になり、直前の練習試合では7番に下がったが、
この日は6番ファーストで先発となった。

だが自主錬で手応えは感じており、私も気持ちに余裕はあった。
「今日はきっと期待に応えてくれるだろう。」
そうした確信を持つほど充実した自主錬が出来た。

後は選手と指導陣の気の緩みだろうか?
試合前から何気に自信が満ち溢れている。
「負けるはずがない」 といった雰囲気がありあり。

応援席の保護者もほとんどが同じ気持ち。
この辺りの善悪は微妙。伸び伸びプレーしてくれる分にはいいが、
大雑把なプレーに走る懸念も潜んでいる。

私は当時はベンチ入りはしない立場の人間。
直前に気を引き締める事も出来ない。
取り越し苦労に終わればいいが・・ その時は本当にそう思っていました。

我がチームの先行で試合開始。
初回にいきなり相手エラーで出塁。そして盗塁。
2つ続けてのワイルドピッチであっさり先制。

開始後わずか3分程で1点を挙げた。
ベンチも応援席も笑みがこぼれ、早くもイケイケムード。

しかしこの得点が、この日唯一の得点になろうとは・・
この時誰も思っていなかった。

続きは後日。

2006年09月22日

2003年の秋に向けて

前回の続きです。

2003年9月

投手候補から外されて、打撃面でもスランプに陥り
全ての面で空回りが続いた5年生の夏。

公式戦が一休みしていた夏も過ぎ、各種大会参加が続く秋を迎え、
ゲンジの今後の方向性を模索していた2003年9月。

取り敢えずピッチング練習は継続して行い、
来るべき復活のチャンスに備える事にする。

当面はチーム事情でファーストでの起用になりそう。
そこでファーストの守備練習にも力を入れる。

具体的にはキャッチング。私がショート方向から意図的に色んな送球を投げる。
ワンバウンドや左右に逸れた球、高い球などなど・・

この頃は日暮れも早くなってきたので、夕方の自主錬は時間が勝負。
私も可能な限り仕事をやり繰りし、平日の夕方は外で特訓が続いた。

ボールが見えなくなるまで守備練習を行い、その後は打撃練習。
ほぼ毎日バッティングセンターに通い、帰宅後は素振りを繰り返す。

なんとしてもスランプから抜け出し、公式戦で爆発してほしい!
そう強く願っていたから、傍目にはオーバーペースにも映ったかもしれないほど、
この時は自主錬に力を入れた。

こうした平日練習が我が家の原点でしょう。
これが無ければ今の立場は無かったと思います。
この頃はゲンジもまだ「子供」でしたから、色々と苦労もありました。

今も時々思うのですが、この頃の特訓を息子は当時どう思っていたのか?
文句も言わずに地道に取り組んではいましたが、
どちらかといえば「やらされている練習」 だった。

今はそんな事はないでしょうが、ちょっとその辺りが気になります^^
本人に聞いても 『よく覚えてない・・』と答えるのみ。

さて話を当時に戻します。

チームは誰をエース待遇にするのか? まずはここが注目。
投手候補から外れたゲンジを除外し、残った候補は3人。
それぞれ一長一短がありました。

そしてクリンアップをどうするか?
不調で7番に下がったゲンジが復帰出来るのか?
地域で重要な大会と、地元主催の大会の2つが集中している。

ここをどんな布陣で挑むのか? ここでの結果が
翌年の方向性を左右する事になるのですが、それはまた追々と。

ゲンジも練習中では快音も戻ってきた感じ。
打撃復活はあるのか? 

続きは後日。

2006年09月14日

意地の見逃し

前回の続きです。

2003年8月

監督に抱きかかえられ、薄っすらと涙を浮かべていたゲンジ。
不運な見逃し三振を喫して落ち込んでいた。

相手審判に多少の遠慮もあったが、私は大声でこう言った。
『ドンマイドンマイ! いいよいいよ。あんな球、手を出しちゃいけない。』

咄嗟に出た言葉でしたが、クソボールに手を出して空振りするより、
明らかなボール球を見逃した事を励ましてやりたかった。

グラブを持ってグランドへ走る姿は、
もう三振の事を忘れているように思えた。
何事も切り替えが大事。いつまでも落ち込んでもいられない。

試合は0対7。ここまで見せ場すら作れていない。
6回の攻撃も簡単に三者凡退。このままでいくと、
7番のゲンジに3回目の打席が巡ってくるのは厳しい感じか。

最終回は2番からの攻撃。打順はいいので、なんとか1点を返したい。
だが2者続けて倒れてしまい2アウト。

バッターは4番。相手は楽勝ペースでしたが、
野球は下駄を履くまで判らないもの。

ここで4番がレフト前に痛烈なヒットを放つ!
続く5番、ボテボテのサードゴロが内野安打。

もう一人出れば、ゲンジに3度目の打席がやってくる。
ところが呆気なくその期待は現実となった。
続く6番バッターは初球デッドボール。

2死満塁でゲンジがバッターボックスへ。
この日7番といえど、それまではずっと5番を打っていた選手。
チャンスの場面で期待はグッと高まった。

打席に向うゲンジに、他のお父さんから声がかかる。
『低めは手を出していけよ!』

前打席の三振があるから、同じ過ちを繰り返すなという意味だろうか?
そう言いたくなる気持ちは判るのですが・・

点差があるので、相手ピッチャーは余裕の表情。
この打席も細かい攻防があり、フルカウントになった。

2死満塁・フルカウント。
『際どい所は振っていけよ〜』 ベンチからコーチの声。

ゲンジも前の三振が頭にあるはず。言われなくてもそのつもりだろう。
そしてラストボールはまた低めに!

さっきのような明らかなクソボールではないが、それでもボールになる球。
ゲンジはバットを出さずに見送った。。。

そしてバットを投げて1塁へ動こうとする。
主審の判定は 『ボール!!』

四球を選んで押し出し。1点を奪った。
それにしても・・ 意図的に(自信があって)見逃したのか?
それとも手が出なかったのか?

1塁へ向おうとした動作を見ると、手が出なかったという事はなさそう。
それにしてもよく見送ったものだ。

普通なら、前後の状況からスイングすると思うのですが。

試合は1対7で敗戦。帰路の車中で、最後のボールについて聞いてみた。
『自信があって見逃したのか?』

『あんなのボールじゃん。見逃すさ・・』
頑固というか肝が据わっているというか・・

ゲンジにとって、自信と同時に意地で見逃したボールでした。

続きは後日。

2006年09月07日

悔し涙

前回の続きです。

2003年8月

打撃不調から抜け出す事が出来るか?
練習試合の2打席目、ファールで粘った末のフルカウント。

相手ピッチャーの投じたボールは、投げた瞬間低めのクソボール。
自信満々で見送り、バット置いて1塁に向おうとした瞬間、
主審のコールは『ストライク!』

私は半分呆れ返り、『あれのどこがストライクなんだ?・・』

ところが監督は血相を変えて主審のもとへ駆け寄る。
背中は明らかに殺気がみなぎっていた。

塁審もその気配を察知したのか、恐る恐るホームベースに近付いてくる。
監督は思い止まったのか、笑顔を浮かべながら、
『今のは外れているでしょ〜?』

主審は黙って首を横に振るだけ。

『うちのチーム、ああいうボールは振るな。と指導しているんですが・・』
と監督も食い下がる。その表情は一応冷静な態度。

この試合は練習試合。審判は双方の関係者が行っていた。
各チームから2名づつ。主審は相手チームの父兄だった。

こちらは1塁と2塁の塁審を担当。
その塁審、監督にベンチへ戻るよう促す。

これは当然の行動でしょう。ジャッジに疑問があっても、
判定は覆らない。だが三振を喫した子の親として、
この打席は色んな意味で重要な打席だった。

三振で凡退か、四球で出塁か? 両者には天と地の開きがある。
ゲンジは納得のいかない表情で、その場のやり取りを眺めていた。

監督がゲンジの肩を支えながら、二人一緒にベンチに戻る。
この時監督が何か囁いていたのか、直後にゲンジはすすり泣きをはじめた・・

後から聞いた話によると、この時監督が囁いたのは、
『あれは三振じゃない。立派なフォアボールだよ。』
との事。それを聞いたゲンジも、ついたまらなくなって涙をこぼしたのか。

相手父兄が自軍に有利なミスジャッジ。随分と間が悪い。
だが所詮人間がやる事。ミスも出て当然かもしれない。
しかし! それにしてもあれは酷かった。。 

なにより、ゲンジの落ち込みが気になる。
こういった展開は逆に難しい。どう本人に言葉をかけたらいいのか?

続きは後日。

2006年08月30日

疑惑の三振

前回の続きです。

2003年8月

(このカテゴリ、久しぶりの更新となります。すみません・・)
前回のエントリーはこちら↓
http://syounenyakyu20.seesaa.net/article/21897071.html


打撃不振で7番に降格となったゲンジ。
この練習試合でなんとか復調してほしいところですが、
最初の打席は凡退。だがひたむきな姿勢が垣間見え、少しは期待が膨らむ。

この打撃不振、投手の座を追われたのも少なからず影響しているのか?
日頃からあまり気持ちを表情に出さない子なので、
こちらも深く考えてはいませんでしたが、本人なりに悩みもあったのだろう・・

これをこちらがもう少し早く察知してやればよかったのですが・・
『単なるスランプ』 そう安易に考えてしまい、対策を怠ったのは私のミス。

それだけに、この試合のゲンジの結果には私も大きな口を叩けない。
そう思って試合を見守っていました。
なにより本人は必死にプレーしている。それだけが救いでした。

試合は先発投手が2回に早くも捕まる。
大技・小技を絡めた相手の攻撃に翻弄され、4点を先制される。

ゲンジを抜かした投手候補は3人。その一角が崩れ、監督は2人目をマウンドへ送る。
目前に迫った公式戦、誰を主戦に持っていくのか? それをテストしているのだろう。

だが代わった投手もピリッとしない。
ボールが先行してストライクが入らない・・
練習では大丈夫だったのに、これが試合の魔力なのか?

更に3点を献上してしまい、序盤から苦しい展開。
この投手争いにゲンジが加わっていないのが残念でしたが、
今はそれよりバッティングをどうするか?

三者凡退を繰り返す我がチーム、ゲンジの2打席目は5回の攻撃。
2死走者なしの場面。ここまで出たランナーは2回に一人出ただけ。
気楽な場面ではあるが、このままだとこれが最後の打席になるかもしれない。

一矢報いるためにも大事な打席。
この打席は粘った。ファールを多く打ち、少しづつタイミングが合ってきている。

相手投手も投げ辛い様子。ようやくゲンジの本領発揮か?
カウントは2ストライク・3ボール。
そして次の球。地面スレスレの全く低いクソボール。

ゲンジは悠然と見送った。『やった。フォアボールだ』
観戦していた私の安堵の思いも束の間。
直後のコールは・・

『ストライク〜!!』

スゴイ形相でベンチを飛び出す監督。
塁審も何か気配を感じたのか、ホームベースに駆け寄る。

その時私も、『あれのどこがストライクなのー!?』
と天を仰ぐ。

続きは後日。

2006年08月03日

油断と焦り

前回の続きです。

2003年8月

投手復活へ新たなスタートを切ろうとした矢先、突如陥った打撃不振。
練習中のフリーバッティングでも快音が聞こえず、
ついに打順が7番に降格。

大事な公式戦を前にした調整試合。
ここでの結果いかんでは、本番でもクリンアップ復帰はない。

恥ずかしながらこの時の私、このスランプを少々軽視していた。
本来なら事前にフォームチェック・修正を図るのですが、
まさか打順降格の大鉈が振られるとは思っていなかった。

打撃に関しては私も多少の驕りがあったのだろう。
後の祭とはこの事で、明確な対策を施す事なく練習試合を迎えてしまう。

もっともこの時は投手再生に頭が一杯で、打撃面まで目が届かなかったのもあるのですが・・

練習試合なので時間には関係なく7イニング制で行う。
普通の試合運びなら3回は打順が回ってくるだろう。

打順降格という事実を告げられてから、事の重大さに気付いた私。
当然ながら試合前に時間はない。
明確なアドバイスをする事も出来ず、試合開始の時刻が来た。

こうなったらゲンジ自身でこの危機的状況を打破するしかない。
しかしこの所の投手関連のゴタゴタで、少なからず落ち込んでいる様子。
どこまで奮起出来るか? これはこれで良い試練だったかもしれない。

最初の打席は2回。2死2塁の場面で訪れた。
ネクストのゲンジに『じっくり行け!』 そう言葉をかける。
自軍はここまで早打ちで凡退していた。

早いカウントから難しい球に手を出している感じ。
それを見ていたので前述のアドバイス。

ゲンジなら追い込まれても、好きなコースが来るまで待ったほうが
ヒットに出来る確立が高い。そう私は踏んでいたのですが・・

ところが人のアドバイスが聞こえているのか? いないのか?
初球のインコース低め。見送ればボール臭い球にいきなり手を出した。

上体が泳いで引っ掛けてしまう。。。
当りはボテボテのサードゴロ。
即座に怒鳴りたい衝動にかられました。

ところが必死の形相で1塁へ走るゲンジ。
歯を食い縛って走る姿を見ると、怒りは即座にどこかへ飛んだ。

『あいつなりに必死なんだな・・』そう心で呟いた。
なんとかしてやりたいが、ここでは動く事も出来ない。

1打席目・サードゴロ。
打席のチャンスは残り2回。

続きは後日。

2006年07月27日

7番降格

前回の続きです。

2003年8月

ピッチャーとして期待されて迎えた5年生の頃のゲンジ。
だが夏の初めにピッチャーとして構想外を告げられた。

フォーム等の問題から本人の気持ちの持ち方など、
あらゆる要素が絡みあっての決定だが、
本人の強い要望で自宅練習でのピッチングメニューは残す事に。

問題点を洗い出し、ピッチャーとしてリベンジを果たすべく、
再スタートとなった2003年8月。

だがこの頃、ゲンジには別の試練が忍び寄っていた。
それは打撃不振です。

前年の夏以降、打撃面では結果を出し続けていたゲンジ。
前年秋のピッチャー候補にリストアップされてからは、
自宅練習は自然にピッチング練習にウエイトが置かれていた。

勿論、素振りは毎日していましたし、バッティングセンターにも通ってはいた。
でも重要課題はピッチング。

ここまでそこそこの打撃成績を残していた事もあり、
私も打撃面ではあまりアドバイスしていなかった。

当時の打順は5番。主将が4番を任されていた。
この2人は打順を動かされる事はなく、また二人共期待には応えていた。

ところが一連のピッチャー問題の心労もあったのか、
この頃のゲンジは少しづつ打撃が下降線をたどる。
チーム練習でも快音が聞こえず、ボテボテの当りばかり。

単なる一過性のもの。そうタカをくくっていた私でしたが、
いつまでたっても復調しないゲンジを見て、事の重大さに慌ててしまう。

まずは投球メニューを中断し、打撃回復に重点を置いた。
しかし結果がなかなか伴わない。9月の公式戦も迫っている。

その公式戦を視野にいれた練習試合が行われたのですが、
その時ついに打順の変更を監督が決めた。

『7番ファースト・ゲンジ』

ピッチャー構想外。打撃スランプ。
2つの試練が押し寄せて、親子で焦りを感じてしまった。
そしてついに打順降格。

ピッチャーとして監督を見返す! 
その実現に向けて動きだす前に、メインの打撃が下降線。

何をどうしたらいいのか??
ゲンジよりも私の迷走が始まりだしました・・・

7番に下がったゲンジは奮起するのか?

続きは後日。

2006年07月14日

投手への拘り

前回の続きです。

2003年7月

『僕、ピッチャー練習は続けたい・・』

投手失格の通告をゲンジに伝えた時、ぼそりと言ったこの言葉。
これを聞いた時、私はとても嬉しかった。

これまであまりこうした自己主張をしなかったゲンジ。
言われた事は文句を言わずに取り組む反面、
自分の意見をあまり表に出す事は少なかった。

この時の事も、ゲンジはアッサリと承知するか?
という思いもあったのですが、そうなったらきっと寂しかったと思う。

だが反骨心をあらわにしたこの言葉を聞き、
自分のこれまでのやり方に疑念を持っていた私でしたが、
一筋の光明が差した気がして、なんとなく救われた思い。

『どうしてピッチング練習を継続したいんだ?』
敢えてこうした質問をゲンジに浴びせる。

だがゲンジは何も答えない。

『練習したって、次に登板のチャンスがあるかどうか? 判らないぞ』

まだゲンジは黙っている。
自分の気持ちをどう表現していいのか? 迷っている感じ。

『見返してやりたいのか?』
ズバリ核心をついてやった。

黙ってうなずくゲンジ。

私の腹は固まりました。

『じゃあ見返してやろう!!』
『この悔しさを忘れるな! 本当にお前が真剣にピッチングに取り組むなら、俺はこれからも協力する。』

『生半可な気持ちで取り組むなら、その時間を別の練習に充てたほうがいい。だからもう一度言う。本当に続けたいのか?』

『うん・・』

こうして互いの意志が固まり、投球練習はメニューに残す事になりました。

もしこの時、ゲンジがピッチングを諦めていたら?
その後の彼の野球生活が変わっていたかもしれない。

私も熱の入れようが違っていただろう。
それが良かったのか悪かったのか?
それは現時点では判らない。

諦めていたら、守備や打撃が今より伸びていたかもしれないし、
逆に全ての面で今より技術が下回っていたかもしれない。

でも私はあの時の選択が間違っていたとは思いたくない。
ピッチャーが出来る・出来ないの話ではなく、
その後の気持ちの部分でプラスになった。そう確信している。

投球練習を継続するにあたり、フォームをどうするか?
どんな練習を取り入れるか? ファーストの練習はどうするか?

もう一度頭を整理しなければならない事となった。

続きは後日。

2006年07月06日

闘志に火

前回の続きです。

2003年7月

監督よりピッチャーとして構想外を告げられたゲンジ。

技術面よりも精神面での弱さを指摘された。
監督と私の話はまだ続き、この後のポジション展開に話題が移る。

ピッチャー候補から外れたゲンジをどこで使うか?
現ファーストの子を主戦にもっていきたい構想のようで、
それを埋める形でゲンジがファーストとの事。

他のポジションでもコンバートを行い、ちょっとした小改造か?

新たな役割分担で精度を高め、秋に向けて動きだす。
この夏をどう乗り切るか? 


この日帰宅後、ゲンジに投手の件をどう話そうか?
私は少し悩みました。 監督の言葉をそのまま伝えるのか?
それとも何も言わずにおくべきか?

この時、私の本音はピッチャーはもう諦めて
打撃を磨く事に専念させたかった。
ピッチャー練習に割いていた時間を、打撃に振り向けたかったのです。

その辺りを絡めて、ゲンジと話をしたんですが・・

私: 『今日からもう投球練習は止める。その分ファーストの守備練習と打撃練習に時間を充てる』

ゲ: 『なんでピッチングはやらないの?』

私: 『監督からしばらくお前をピッチャーから外すと言われた。』

ゲ: 『・・・・・・・・・』

私: 『もうピッチャーは諦めろ。お前には資質が備わっていないと言われた。その分打撃に専念しよう』

ゲ: 『もうピッチャーは出来ないの?・・』

私: 『お前が色んな面で変化したら、監督ももう一度チャンスをくれると言っているが、その望みは薄いかもな・・』

ゲ: 『変化って、投げ方とか?』

私: 『どちらにしろ、【すり足投法】はもうダメみたい。でもお前はすり足じゃないと結果が出ないしなぁ・・』


こんなやり取りがあったのですが、ゲンジは釈然としない様子。
本音はピッチャーに拘りがあったのか?

翌日、いつものように夕方の自主錬を行う。
私なりにこの日からメニューを変更。時間配分も考えていた。
当面はまずファーストの守備。

牽制球の捕球や構え。そしてバントシフト等を教え込もうとしていたんですが・・

キャッチボールが終わってゲンジが一言。

『僕、ピッチング練習は続けたい。』

続きは後日。

2006年06月30日

投手失格の通告

前回の続きです。

2003年7月

試合終了後、監督のほうから私のところへ話があった。
こちらの予想通り、ゲンジのピッチャーとしての今後についてだった。

良い機会なので、私もそれまで抱いていた考えや構想を話す事に。
だが監督から発せられた言葉は、私にとって厳しいものとなる。


監督: 『ここまで色々とありましたが、ゲンジはしばらくピッチャーから外そうと思います。』

私: 『起用方法は監督がお決めになる事。それには従いますが、何故ピッチャーから外れるのか? 今後に活かしたいので理由を聞かせてもらえますか?』

監督: 『・・・・・』

私: 『私が会得させた【すり足投法】が原因でしょうか?・・』

監督: 『それもありますが、それだけではありません。』

私: 『?』

監督: 『まずフォーム改造についてですが、今をしのぐならあの投げ方でもいいかもしれません。けれど先々の事を考えると、あの投法はゲンジ本人のためにならないような気がします。』

私: 『・・・・・』

監督: 『いずれあのフォームと決別する時がくるでしょう。それならば今のうちに基本に立ち帰り、根本の部分でもう一度原点に戻ったほうがいいと思ってます。』

監督: 『実際、あの投法ではゲンジは肘が下がり気味。足の送りに気がとられているのか、肝心の腕の振りが思わしくありません。』

私: 『肘の件は私も見過ごしていました・・ そうでしたか・・』

監督: 『完封勝ちは確かに、結果だけを捉えれば合格かもしれませんが、今からこじんまりと収めてほしくありません。』

監督: 『それとゲンジ本人の【気持ち】の部分です。』

私: 『ピッチャーとしての気質の部分ですか?』

監督: 『そうです。私がゲンジをピッチャー練習から外したのは、例の投法の事もありますが、一番は【気持ちとやる気】の部分です。』

監督: 『敢えて今日先発させたのは、その気持ちの部分をゲンジがどう表に出すか? それを見たかったからです。私に対する反骨心を見せてほしかった。でも今日は見られませんでした。』

監督: 『確かにゲンジも投げ方の事で、自分なりに想うところがあったでしょう。失礼ながらドラ夫さんの顔色を伺う面もあったかもしれない。 でもそれなら自分流の主張を通してほしかった。今日の初回も淡々とした様子で投げてました。気迫がまるで伝わってこない。意地があるのなら、私の言いつけを無視してでも、すり足で投げても良かったかもしれない。』

私: 『フォームについてはゲンジなりの拘りがあったのは事実です。ただ監督の意向との相違で色々と悩んでいたのかもしれません。』

監督: 『私がもっと明確に、「すり足は保留しよう。」と言ってあげたほうが良かったかもしれません。ただ完封した投げ方ですので、私もゲンジやドラ夫さんにどう説明したらいいのか? という悩みがありました。 私の指示があやふやになり、ゲンジに戸惑いを与えたのは私のミスです。ゲンジには悪い事をしたな という反省はあります。』

監督: 『シーズン当初と違い、今はピッチャーにやる気を見せる子が出てきました。しばらくは彼らを中心に回していきたい。ゲンジがピッチャーに拘る姿勢があるのなら、それを見て奮起してほしい。その時は私もチャンスを与えるつもりです。』


監督の本音を聞く事が出来、色んな意味でスッキリしました。
この後、話はポジション全体についての話題に切り替わる。

そして今後のピッチャーとしての育成計画をどうするのか?
私と監督の話はまだ続いた。

続きは後日

2006年06月24日

監督との会談へ

前回の続きです。

2003年7月

初回から相手の猛攻を受ける投手ゲンジ。
その姿には気迫は感じられず、また悔しさも伝わってこない。

淡々。もしくは黙々といった表情で投げ続けている。
バックの守りからも声が出ず、ベンチの指導陣も無言。
相手チームの歓声だけがグランドに響いていた。

完封勝ちを治めた『すり足投法』ではなく、フォームを以前に戻して挑んだが、
それよりゲンジのモチベーション自体が下がりきってしまっている。

こんな状態で投げ続けるのは意味が感じられないし、
他のピッチャー候補に経験を積ませたほうがいいと思った。

1.前年秋に投手候補として監督より指名。
2.新チーム始動後、最初の勝利投手。
3.数試合パッとせず、伸び悩む。
4.長所と短所の洗い出しから、『すり足投法』にチャレンジ。
5.新フォームで2安打完封勝利。
6.同門対決の試合で、新たな投手候補が2名出現。
7.監督より『すり足』の封印を言い渡されるも、それに反発。
8.ゲンジ本人が『僕、もうピッチャーはいいよ・・』と弱気発言。
9.2週間ピッチング練習から外されて、干されたか? 
  と思いきや、突如この試合で先発指令。


これがここまでのピッチャー関連の流れです。
これ以外にも監督と新加入Kコーチとの起用方対立もあったりした。

節目の部分で私なりに物事を考え、行動に移してきましたが、
前述の箇条書きを見ると、どうして監督が『すり足』を封印させたいのか?
ここがこの問題の最大のポイントでした。

その疑問点を明らかにするための、この日の登板か?
技術面。精神面。今後の育成面。将来性。これらが混ざりあって何らかの方向性を監督なりに導きたいのだろうか?


話をこの試合に戻します。
初回に大量点を献上したゲンジ。以降も投げ続けますが、
2回以降はなんとか立ち直った感じ。

それでも小刻みに安打を許したりしましたが。

試合は敗戦。打線もそこそこ追い上げましたが、
逆転までには結びつかなかった。

試合後、私は意を決して監督と話をする事に決めた。
今後のゲンジ、ピッチャーとしての育成について意見を交わすため。

ピッチャーがダメならその理由を知りたかったし、
何故この試合に先発させたか? その他色々とあるのですが、
これ以上成り行きに任せられるのは、私の精神も限界にきていた。

キチンと話をし、スッキリしたいのがこの時の本音。
これまであまり出すぎた事は控えていたつもりですが、
そうも言ってられない所まで気持ちが追い詰められていた。

どうやって監督へ切り出そうか? 様子を伺っていた時に、
監督のほうからこちらへ歩み寄ってきた。

『ドラ夫さん。ちょっといいですか?』

続きは後日。

2006年06月15日

初回炎上

前回の続きです。

2003年7月

ピッチャー練習から外されていたゲンジが、先発マウンド。
しかも親子で習得した「すり足投法」を捨て、元のフォームに戻して挑む。

これはゲンジが自分で決めた事。私はそれを尊重する事にした。

すり足のデビュー戦は完封で飾った。そしてその後の練習での
『元に戻して投げてみろ』 という監督の言葉。
それに反発したゲンジが登板拒否。

それで投手練習から外されたゲンジが、何の前触れもなく先発指令。
そして当の本人が「元に戻して投げてみる」 という言葉。

一体この流れは何なのか??
互いに綱引きのように押したり引いたりしている感じ。

取り敢えずこの試合、フォームを戻して投げてみて、
その結果に監督が何らかの行動を起こすはず。

とにかくまず試合だ。深く考えるのはその後。

だが初回からゲンジは相手打線に捕まる。
いきなり3連打を浴びて1点を失い 尚もピンチは続く。

ボールに勢いがまるで無く、打ち頃のボールがご丁寧にストライクゾーンへ。
やはりピッチャー練習抜きで抑えられるほど甘くはないか。。。

同じ打たれる姿を見るのなら、すり足投法で打たれたほうが諦めもつく。
元に戻したフォームで打たれても、それは本当の姿ではない。
そう自分に言い聞かせて試合を見守るが・・

打たれても打たれてもフォームを変えないゲンジ。
どうしてだ? 何故そこまで意地を張る?

誰に対する意地なんだ? 監督へなのか? 自分の意地か?
それとも・・ それは父親でもある私への、違う意味での意地なのか?

まさかワザと打たれているのか? そんな事はないだろう。

初回から炎上するゲンジ。
相手の攻撃が止む事はない。
そして自軍のベンチも動く気配がない。

続きは後日。

2006年06月01日

元に戻す

前回の続きです。

2003年7月

『5番ピッチャー ゲンジ』

監督がオーダー表を読みながらそう言った。
一瞬耳を疑ってしまう。無理もない。

こちらはピッチャーを干されたと思っていた。
ゲンジ本人もなにが原因かは特定出来ないが、
ピッチャーには関心が薄れている。

投球動作を元に戻す事も考えたが、結果を出した「すり足投法」に
愛着と執着を持っていたのはひょっとしてゲンジではなく、
この私だったのかもしれない。

そこへ監督とKコーチの指導理論、ゲンジのモチベーション等が加わり、
この時のピッチャー問題に発展したのかもしれない。
他の選手の台頭もそれに入るが。

先発指令の出たゲンジ、それには特に表情も変えず、
ブルペンで投球練習を始める。

いつもの私ならこのような場合、近くに行ってアドバイスを言うはず。
大体ポイントを3つ位に絞って伝えるのですが、
この時は敢えて何も言わなかった。

ゲンジが自分自身でどう物事を捉えるのか?
どう組み立てをするか? それを見てやろうと思いました。

それよりも何故ゲンジが先発なのか? ここのほうが気になって仕方がない。
何か理由があるのか? 監督は投手としてのゲンジを見限っているのか?
それとも期待をしているのか? 

考えれば考えるほど謎が深まるばかり。

普通に考えるならば、見限った選手に先発マウンドは託さないはず。
だとしたらこの2週間のチーム練習で、何故ゲンジだけピッチャー練習を蚊帳の外にしたのか?

あれこれ思いにふけっている時、ブルペンからベンチに戻るゲンジが私のところへ。
『フォームを元に戻して投げてみる。』
そう言い残して足早に去っていった。

いいだろう。存分にやってみろ。そんな気持ちになりました。
監督が何を考えて起用したかは、この試合後に判る事になるのですが・・

我がチームの後攻で試合開始。
マウンド上でロジンをポンポンと弄ぶゲンジ。
余裕のある姿を演出しているのか? いや、そうではない。
緊張している。親なら見れば判る。

どんなピッチングを見せてくれるのか?

続きは後日

2006年05月25日

投手失格の前兆

前回の続きです。

2003年7月

『僕、ピッチャーはもういいよ・・』

ポロリと出た言葉に私は絶句した。
ずっと沈黙が続く。次の言葉が出てこない。

そしてゲンジの顔には薄っすらと涙が・・

父親と監督の狭間に揺られ続けた。
嫌気がさしたのか、疲れたのか?

この時まだ5年生。「楽しむ野球」でも良かったのかもしれない。
だが不幸な事に、ゲンジの父は「他の子に負けるな!」の性格。

いつしかゲンジは、野球を義理で参加している気分だったのかもしれない。

ピッチャーの事についてもそう。
前年の秋に監督から指名されて始まったピッチャーへの挑戦。
自分からやりたいと言った訳ではない。

そこへ父親が熱心さのあまり特訓の日々。
だが当の本人は、他人を押し退けてまで自分が中心に。という性格ではない。
そして他のピッチャー候補が台頭してきた。

これらの事が瞬時に頭をよぎった。
冒頭のゲンジの台詞が出てくる条件は揃っている。

残念ながらこの時、ゲンジには投手として必要なハートが備わっていなかった。
『俺が投げる!』 こうした気質が無いと、ピッチャーというのは無理かもしれない。

やれと言われれば、それなりにこなしてはきたが、
ここから先はそれでは難しい。
すり足投法云々より、根本的部分でこれでは投手失格だろう。

私はゲンジの申し出を受け入れたほうがいいのか?
それとも気合を入れ直し、自力でエースの座を奪うよう檄を飛ばすか?
この2つを頭の中で考えていました。

どちらがいいのか??・・・

でも私はどうしても諦めきれない気持ちが強かった。
「このまま引き下がれるか!」 という自分がいる反面・・

でも涙顔のゲンジを見ると、「お疲れ様。じゃあ違うポジションで頑張ろう」
と言いたい自分もいる。 悩んだ・・ どうしたらいいのだろう?

別にすぐ結論を出す必要もないので、しばらく様子を見る事にした。
もしピッチャーに未練があれば、自分から投球練習をしたいと言うだろう。
でもその未練が無ければ、それはそれで受け入れよう。そう思いました。

それにしても息子がそこまで思い悩んでいたとは・・
ちょっとショックでした。

当時はこうした親子での温度差があった時期。
私が自分本位で進めていた自主錬も、これでいいのか?
と改めて思いましたね。

翌週のチーム練習もゲンジに登板の声はかからない。
また平日の自主錬でも、ゲンジは投球練習の事は口に出さない。
これでもう完全にピッチャーは終わったな。そう考えていたのですが・・

7月の最終週、隣の学童チームとの定期戦がありました。
「じゃあ投げません」 と宣言してから2週間が過ぎていた。

試合前のオーダー発表。監督が順に呼び上げていく。

『5番 ピッチャーゲンジ』

続きは後日。

2006年05月18日

ピッチャー返上?

前回の続きです。

2003年7月

ピッチャーの個別練習が行われているのに、
そこにゲンジの姿は無かった。

ゲンジは他のメンバーとゴロ捕り練習組に入っている。
これは一体どういう事か? 私は当初、この意味が飲み込めなかった。

数分間あれこれと考えたが、どうにも思い当たるフシがない。
ピッチャー失格の烙印を押されるにしても、前試合では結果を残している。

監督、Kコーチ共にこの件については私には何も言ってこない。
こちらから質問してみるか? そう思ったが勇気が出ない。
一保護者の身分で起用に口を挟むのも躊躇する。

だがそれを差し引いても、この扱いには納得が出来ない。
それに輪をかけるように、当のゲンジが平然としていたのに腹が立つ。
悔しいという気持ちが無いのか?

私は動揺を悟られぬよう、つとめて冷静を装った。
時折ピッチャー練習の光景に目がゆくが・・・

30分程して休憩の時間になる。
水分補給をしている選手の口から、聞き捨てる事が出来ない会話が耳に入った。

『ゲンジ、昨日あんな事言ったからこうなったのかな?』

この日は日曜日。前日の土曜も練習があった。
その日は私は所用で練習には顔を出していない。

土曜に何かあったのか? 私はその子に問い正したが、
その子は間の悪い顔をして多くを語らない。

どうやら前日の練習に答えが隠されているようだ。

練習終了後の帰宅途中、ゲンジにそれとなくこの件について聞いてみた。
どうして自分だけが蚊帳の外なのか?
土曜の練習で何があったのか?

最初ゲンジはとぼけていたが、そのうちに少しづつ口を開きだした。

土曜のバッティング練習の時、ゲンジにピッチャーをするよう監督が言った。
ゲンジがマウンドに行った時、『普通の投げ方で投げろ』
との指示があったらしい。

普通の投げ方とは、ようするに【すり足では投げるな】 の意味。
それを聞いたゲンジが戸惑いの表情を浮かべた模様。
モジモジしていたらしく、また言われた事に納得出来なかったのか?

すると監督が、『嫌なら投げずに守備につけ』
その言葉にカチンときたゲンジ、『じゃ投げません』
と言ってマウンドを譲ったらしい・・・

これが前日土曜の一幕との事。
そしてこの日の蚊帳の外。なるほど。これでようやく話が見えてきた。

私はゲンジに何から話をすればいいか? よく考えてから言おうとしましたが、
それより先にゲンジがぼそりと一言。

『僕、もうピッチャーはいいよ・・』

続きは後日

2006年05月11日

蚊帳の外

前回の続きです。

2003年7月

5年生の野球生活も夏を迎えようとしていた。

6月の公式戦でフォーム改造という賭けが成功したゲンジ。
2安打完封の勝利も飾った。

秋までは2チームエントリーの大会は無い。
5年生以下の新人戦も秋。夏はみっちり練習と、時折いれる練習試合のみ。

2人のピッチャー候補でスタートしたこのチーム。
そこへ新たに2名が候補に加わり、にわかに活気づいてきた。

初めは4年生のC君がエース格。ゲンジはその次。
そこへ体格に恵まれたY君と、主将のE君が同門対決の試合で
キラリと光るピッチングを見せた。

この7月のピッチャー陣の図式を考えると、
完封を収めたゲンジがエース格か? 大方の予想はこれだった。
ところが・・



しばらく試合の予定が無いので、テーマ別の練習に力を入れていた2003年7月。
監督が 『牽制の練習とバント処理の練習をする。ピッチャー候補のC・Y・Eの3人はこちらへ来るように。 残ったメンバーはKコーチと一緒にゴロ捕りの練習だ。』

ピッチャーの個別練習をするのは大いに結構。
投球だけではなく、牽制やフィールディングも重要。

だが監督の発した言葉の中に、ゲンジの名前が入っていない。
私が不思議に思い、別のコーチにその事を進言。

そのコーチも 『ホントだ。監督? ゲンジもそちらでいいんですよね?』
だが監督の返答が、『いえ、ゲンジはそちらでゴロ捕りをさせてください』
との返事。 何故??・・・

ちなみに当時の私は単なる一保護者の立場。
この時は自発的に練習の手伝いに来ていただけ。

だがゲンジ以外の3人を引き連れて、牽制技術を伝授している監督。
 「どうしてゲンジがそこに入れないんだ?・・」

一方ゲンジはそんな事は気にする様子もなく、時折笑いを浮かべながら
ゴロ捕り練習をこなしていた。

「お前は悔しくないのか? 何故笑っていられる? お前だけ蚊帳の外だぞ!」
心の中でそう叫ぶ私。 監督やKコーチの手前、自分の思いを口に出せない私。

「どうしてだ? 完封だぞ。何故だ? 」 
同じ事を何度も呟いていました。

指導陣の意図はどこにあるのか? これは仕打ちか? 戦略か??

続きは後日。

2006年04月27日

敗戦。そして迷走の始まり・・

前回の続きです。

2003年6月

脇腹痛でマウンドからベンチへ退いたゲンジ。
この試合4人目のマウンドに立ったのは、Kコーチの次男E君。
このチームの主将であり正捕手の選手。

前の3人が相次ぐアクシデントで降板。
もはやピッチャーを任せられる人材が枯渇し、
野球センスのあるE君に頼るしかない状態。

勿論試合での登板は初めて。ブッツケ本番となる。

もともと地肩は強く、遠投能力もチームで1番。
闘志を表に出すファイターで、統率力もある。

闘志を内に秘め、何事も目立たないように振舞う副主将のゲンジとは、
あらゆる面で「表裏」のような関係か。

4対9 無死満塁で試合再開。
だがこのE君、予想外のピッチングを見せた。

なんとこのピンチを、3者連続三振で切り抜けてしまう。
投球フォームはお世辞にも美しいとは言えず、
俗に言う「ピッチャーの投げ方」には程遠い。

だが持ち前の強心臓と威力のあるボールで、相手をねじ伏せてしまう。
これには周囲も驚いた。まさかこんなに簡単に抑えるとは・・

意気消沈気味だったベンチも再び活気が出た。Kコーチも嬉しそうな表情。

試合はこの後、目立った動きはなく時間制限で終了。
同門対決は順当通りAチームの勝利で終わる。

初戦はゲンジの完封で飾り、2戦目はアクシデントが多発。
色々あった1日もようやく終わった。
翌日と翌週に行われたこの大会、結局我がクラブのAチームが優勝。

久々の優勝をチームにもたらしてくれ、父兄も大喜び。
5年生以下のBチームも、にわかに投手候補が増えてきて、
ポジションの見直しや構想の洗い直しを迫られた。

ゲンジと4年生のC君。この2人でピッチャーという構想からスタートしたが、
新たに体格に恵まれたY君と、主将のE君が候補に加わった感じ。

この4人が切磋琢磨し、今後のチームを盛り上げてくれると思いましたが、
この後に訪れる理不尽な扱いに、私とゲンジは悩み続ける事になる。

続きは後日。

2006年04月20日

無念の降板

前回の続きです。

2003年6月

投球フォームを元に戻したゲンジ。
だがストライクが入らずカウントはノースリー。
結局このバッターは四球で歩かせてしまう。

急遽リリーフの上に突然の脇腹痛。そしてフォームを元に。
色んな事が一度に起こり、観ている私も戸惑いを隠せない。

締まっていた試合展開も、この回から突き放され気味となり、
同門対決が故に観戦の父兄からも様々の声が聞こえてくる。

『ピッチャーがいないのなら、もう終わりにしたら?』
『試合は試合、手抜きや情けは禁物』 などなど・・・

この時の私は、試合の勝ち負けよりゲンジのコンディションが気懸かり。

無死1塁で次のバッター。だが勢いの無いボールは痛打を喰らう。
ヒット2本でまたまた満塁。
そして今度は3球続けてボール・・

そして4球目もボールで押し出し。4対9。尚も満塁。
もうここが限界だろう。前試合の完投で力は使い果たしていたのかもしれない。

この時まだ5年生。体力面もまだ不十分。
なにより精神面でも未発達か。相手が同門のAチームというのも
「負けても仕方がない」 という甘えの気持ちがチームを支配していたか?

監督も続投を断念。結局ゲンジは1死も取れずに降板。
同時にベンチへ退く事となる。

4番手は誰に? Bチームの父兄の関心はこの点に。
だが監督の起用は驚きの用兵でした。

正捕手のE君をマウンドへ上げ、受けるキャッチャーは4年生の控えの子。
このE君、ゲンジが少年野球で最初に意識したライバルだった子。
http://syounenyakyu20.seesaa.net/article/2335683.html

そしてKコーチの息子でもある。
Kコーチもこの試合の幕引きに自分の息子を推したよう。
いわば敗戦処理の登板です。

E君は本来は内野だったのですが、この年のBチームでは主将。
この試合、投手候補が総崩れの非常事態。
まさしく緊急登板の様相でしたが、蓋を開けてみると?

この後のE君のピッチング内容は、この年の秋口までの
チーム方針(起用・ポジション等)を決定するきっかけとなりました。

続きは後日。

2006年04月14日

満身創痍

前回の続きです。

2003年6月

ダメ押しの満塁本塁打を打たれたゲンジ。
その直後、左の脇腹を押さえながらマウンドにうずくまる光景が・・

どうしたのか? 何が起こったのか?
突然の出来事に私もパニック状態。
応援席からでは詳細が掴めないが、明らかに苦悶の表情だ。

審判と監督、そしてKコーチが慌ててマウンドへ駆け寄る。
ゲンジもなんとか気を取り直して立ち上がるが・・

しばらくその場でやり取りがある。
ゲンジはしきりに「大丈夫」というような仕草。
チームにもう投手はいない。だが怪我なら続投は無理。

この脇腹痛、試合後に本人に確かめてみると、
投げ終わった後に右腕を振り降ろした時に、捻ったような痛みが出たとの事。

疲労からきたのか、偶然の出来事なのか? 
それともフォームに何らかの問題があったのか?

マウンドで軽く投球動作をし、身体の動きを確かめるゲンジ。
監督が心配そうな視線を送っている。
対戦相手のAチームの監督もマウンドへ。

同門対決らしい光景だ。両軍の監督もなにやら立ち話。何を話しているんだろう?

ゲンジも改めてOKの意志表示。それを受けて監督も続投の決断。
行けるところまで行く。そんな感じなのだろうか?
首脳陣がベンチへ下がる前に、Kコーチがゲンジに何やら耳打ちをしている。

私の心中は複雑。 投げ通してほしい想いと、降板してほしい想い。
とにかく早く試合が終わってほしい。これがこの時の本音でした。


4対8 無死ランナー無しで試合再開。

まともな球が投げられるのか? 注目の1球目。
振りかぶった投球はボール。だが投げ方が・・

ゲンジはすり足投法ではなく、フォーム改造前の、足を上げる投法になっている。
ゴタゴタの影響で忘れているのか? 続く2球目も同じ投げ方。

私は声を出してそれを指摘しようと思いましたが、すぐに躊躇した。
再開前のKコーチの耳打ちのシーン。これが頭をよぎったからです。

ゲンジが投げ方を元に戻したのは、自分の意志ではなく
Kコーチのアドバイスがあったからでは? この時はそう考えるのが妥当か。

だが折角苦労して会得したかに見えた「すり足投法」を、いとも簡単に捨てたくはない。
だがゲンジは足を上げて投げている。

3球続けてボール。カウントはノースリー。

脇腹の影響か? フォームのせいか?
この回、更に長い時間が過ぎていく事になる・・・

続きは後日。

 

2006年04月07日

緊急登板

前回の続きです。

2003年6月

怪我によるアクシデントで先発のY君、リリーフのC君が揃って負傷。

二人共出血を伴っていたので、大事をとってベンチへ退く事に。
代わりのピッチャーを誰が務めるのか?

監督が主審に選手の交代を告げた。
やはりというか、予想通りというか。
ゲンジがマウンドに向かいました。

前試合で完投しており、ここは本来なら登板は避けたいところ。
だが事情が事情なので、この采配はいた仕方ないか?

KコーチはY君以外に、もう何人かピッチャーをさせたい選手をピックアップしていたようだが、
この場面でテストするわけにはいかないだろう。

そうなると、消去法でいけばここはゲンジしかない。
だが親としては少し心配でした。

球数、心の準備、逆転のピンチの場面、過酷な状況でどう投げるのか?
無死1・3塁 4対4で試合再開。

セットポジションから投じた第1球はストライク。
前試合と同様、すり足投法で挑むゲンジ。

続く2球目。ここで相手はスクイズ!
ゲンジは全く動けず、打者走者も1塁セーフ。
ついに逆転を許してしまった。

Aチームの監督の戦術も巧みだ。
相手が浮き足だっていると見るや、小技を絡ませてくる。
経験不足のBチーム、ここが踏ん張りどころ。

同門対決が故に、絶対負けられないAチーム。
この後もなりふり構わぬ攻撃を仕掛けてくる。

まずはダブルスチールで無死2・3塁。
続くバッターはバントの構えで揺さぶり。
スクイズをやるかに見せかけ、ゲンジを翻弄。

四球で満塁。よく考えると、この回はまだヒットを打たれていない。
こちらの四球で自滅しているだけ。

緊急登板のゲンジ、早くも肩で息をしている。
イニングはまだ3回。

次打者に投じた不用意な棒球。すーっとド真ん中に吸い寄せられる。
快音を伴った打球はセンターの頭上を越えていった。

ランニングホームラン。

ここで勝負あったという感じ。
だがまだ試合は終わっていない。終わるまで誰かが投げ続けなければならない。

気を取り直して再スタート。そう思った直後、
目の前に見えた光景は?

『ゲンジ・・・』 私の背中に戦慄が走った。

続きは後日。

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