2005年04月02日

構えから始める

前回の続きです。

2001年9月
 
打撃特訓中の息子ゲンジ。
構えてから振りぬくまでの行程で、まずは構えの固定から始めた。
 
スタンスは オープン・スクエア・クローズドの3種類があるが、
ここは当然、スクエア。
足幅とグリップ位地の確認をして、バッティングセンターで打たせる。
 
数日続けて通ったせいか、空振り病はいくらか消えた。
不思議なもので、構えを意識させるとスイングもサマに見えてくる。

勿論、体重の移動や手首の返し、フォロースルーなど、
専門的には教える事は沢山あるが、細かいレクチャーは
目をつぶり、場数をこなして体感させるのを重視した。
 
そうすると、子供なりに色々と自分で考えて、
何が良くて何が悪いかを理解してくるだろう。
 
ある程度、真ん中が打てるようになったら、次は「高低」だ。
そこのセンターは高低調節がボタンで任意に設定できる。
ドラ夫がそれを操作して、低めなら低めを、高めなら高めと
ゲーム毎に集中して高低の打撃を習得させた。
 
内角・外角はセンターでは設定出来ないので、
内外に関しては自宅のスタンドティーで対応する。
 
こうして約10日程、打撃練習を集中的に行い
成果はそれなりにあったと思う。
後は試合でその成果を発揮出来れば良いのだが。
 
続きは後日。

2005年03月31日

やる気

前回の続きです。
 
2001年9月
 
バッティングセンターでヒントを掴みかけた息子ゲンジ。
ここが肝心と思ったドラ夫は、しばらくセンターに通わせる事にした。
まだ答えを導きだしていない状態なので、間を空けるよりは
継続させたほうがよいと判断したからだ。
 
翌日もドラ夫は何も言わず、自由に打たせた。
するとよくしたもので、ゲンジは自分なりに色々と試しながら
スイングをしている。友達や先輩のスイングを真似したり、
バットの握り方や構えなど、いろんな格好をして楽しんでいる。
 
勿論、ドラ夫もただ眺めているのではなく、自分なりに何が
ゲンジの長所・短所なのか? を見定めているつもりだ。
 
次の日はビデオカメラを持参して、撮影をした。
そろそろ自由に打たせるのではなく、要点を説明し、
型を教えるのに画像を参考にしたいと思ったからだ。
 
帰宅して撮影画像をゲンジに見せる。
ドラ夫も何度も繰り返し見る。
 
構えてからバットを振りぬくまでの動作は
その行程の中に多くの要点が詰まっている。
その全部を説明した所でゲンジは理解出来ないだろう。
 
そこで最初は打席に入った時の構え。
これだけを教えた。 具体的にはスタンスの幅と
グリップの位地。バットの立て方。 これだけだ。
 
「明日は一球・一球、このを構えを意識しろ。とにかくこの構えから
バットを振れ。スイングに関しては何も言わない。」
 
 
続きは後日。

2005年03月29日

光明の兆し

昨日の続きです。
 
2001年9月
 
5打席連続三振中の息子ゲンジ。
初めてのバッティングセンターでも全球空振り。
ソフトボールのゲージで打たせてみたら、25球のうち20球は
バットに当てた。
 
良い当たりは少なかったが、取り敢えずは満足。
スイングがどうとかのレベルではなく、
「バットを振ってボールに当てる」から始めないと、
この時のゲンジには始まらない。
理論指導はそれからだ。
 
この日は細かい事を言わずにどんどん打たせてみた。
見ていると確かにスイングがぎこちない。
素振りの時のスイングと違うのだ。
 
これが練習と実戦の違いなのかな? と頭をよぎる。
ゲンジも慣れてきたのか、ゲームを重ねるうちに、
自分なりに要領が判ってきたのか、だんだんと良い当たりが
続きだした。
 
全部で5ゲームが終り、帰宅しようとしたが・・
「最後にもう一度80kを打ちたい。」 とゲンジ
 
最初にオール空振りの所でリベンジを果たしたいのか?
心がけは良いが、ソフトで少しは自信がついたので、
また打てなければ落ち込むのでは? と心配にもなった。
 
その事を指摘したが、本人は打ちたいと譲らない。
こうした前向きの意志は尊重したほうが良いと考え、
打たせる事に。
 
だが・・ 5球続けて空振り・・・
「やっぱ止めとけばよかったかな〜?」とドラ夫も後悔しかけた。
ところが! 6球目に快音が!
 
以降、最後の25球目まで良い当たりを連発したのです。
自分の中で何かを掴んだのか?
快心の笑顔のゲンジを見て、立ち直りのヒントを得た感がしました。
 
続きは後日。

2005年03月28日

初めてのバッティングセンター

昨日の続きです。

2001年9月
 
空振りの連発で5打席連続三振中の息子ゲンジ。
しかもファールすらなく、1球もバットにカスリもしない。
 
重症というよりは、これが現状の実力だと認めるしかない。
さてこれをいかに打破するか?
 
まずは「打つ喜び」を体験させようと、この時に
初めてバッティングセンターへ連れて行った。
 
ドラ夫も独身時代に一時期頻繁に通ったセンターだ。
当時は休日の気晴らしに通っていたが、約10年ぶりに来たので懐かしい。
こうして息子の練習の為に再訪するのは、なんだか嬉しくもあった。
 
「まずは何も言わないから、思い切り振ってごらん。」
とゲンジを送り出す。1番遅い 80Kのゲージだ。
 
ところが・・・
1ゲーム25球、オール空振り・・・
「この子は素質が無いのかな・・」とドラ夫も落ち込む。
 
ゲンジも申し訳ないような顔つきで、しきりに首をかしげている。
ドラ夫は腹をくくった!
今が最低ランクだ。これ以上落ちる所もない。
地道にトレーニングを重ねるしかない。
 
もう1ゲームさせようと思ったが、そのセンターには
ソフトボールのゲージが1つだけあった。
スピードは70K。次はこれを打たせてみる事に。
 
ボールも軟球と比べると大きいし、スピードも遅い。
「これならなんとか・・」 と期待した。
 
祈るような気持ちでコインを投入。
そして第1球
 
「ポンッ」  やっと当たった!
ゲンジも声をあげて喜んでいる。
2球・3球と どんどん当たる。
 
これが踏み出しの第一歩でした。
 
続きは明日。

2005年03月27日

空振りの連続

昨日の続きです。

2001年9月
 
思えば入団時には 走る・投げる・打つ
が何も出来なかった息子ゲンジ。
チーム練習と自宅練習で外野守備には多少の見通しがついた。
 
次の課題はバッティングだ。
 
実はこの時のチーム練習は打撃練習はあまり時間を取ってなかった。
これが当時の指導陣の方針なのだろう。
「試合で打ちたい奴は家で素振りしろ」
監督がいつも言ってた言葉だ。
 
自宅での個人練習でも素振りやティー・トスはしていたが、
まずはゲンジの意識改革から始めた。
 
試合で見逃しばかりの姿勢を問いただした。
「今度は思い切り振ってみろ!」
 
素振りもじっくり見てやる。
思った事をあれこれアドバイス。
 
そして次の練習試合の日が来た。
この日もゲンジが 9番・センター
 
そして最初の打席。
空振り三つで三振・・
 
第二打席
またまた空振り三つで三振・・
 
ここで交代。
これで5打席連続三振。しかも1球もバットに当たらない。
目の前が真っ暗になる。
 
今日は見逃しではなく空振りだ。
その点は進歩と言えばそうかもしれない。

けれど、これではポジションも逃げてしまうだろう。
実際、ゲンジがスタメンになる事で、数人の4年生が
ベンチスタートなのだから。
 
今日も守備ではノーミスだけに、この打撃不振は深刻だ。
試合後、監督がドラ夫に言った。
 
「気にするな。まだ3年生じゃないか」
 
続きは明日。

2005年03月26日

明と暗

昨日の続きです。

2001年8月
 
スーパー返球でゲッツーを演出した息子ゲンジ。
守備面で大いにアピール出来た。

チェンジになりベンチに戻る選手達。
ゲンジは皆に揉みくちゃにされている。
 
ところが・・・
二度目の打席がまわってきた。
ヒットなんて大それた事は言わない。
せめてバットに当ててほしい。と願わずにはいられない。
 
しかしこの打席も三振。しかもまた一度もバットは振らない。
さすがにドラ夫も頭に血が昇ってしまった。
「オマエは打つ気があるのかー!!」
ついつい応援席から怒鳴ってしまう。
 
次の守りからゲンジはベンチに退いた。
 
ドラ夫は守備のファインプレーはすっかり忘れ、
ゲンジの消極的な姿勢に怒りが込み上げた。
試合後、監督がドラ夫の前に歩み寄る。
 
「ゲンジ、守備は合格点つけられるよ。」と監督
 
「いや、二打席連続の見逃し三振で喜びも消えました。」とドラ夫
 
「まあ今日はあのスーパープレーを褒めてやれよ(笑)」と監督
 
 

ドラ夫も気を取り直し、まずは守備の事を褒めてやる事にした。
考えてみれば、フライ捕球の練習ばかりに専念し、他の練習を
犠牲にしたのはドラ夫の責任だ。
 
あれもこれもと全てに結果を求めるのも酷かもしれない。
しかし・・・
 
打撃はバットを振らなければ始まらない。
同じ三振でも、二打席で一度もバットを振らないのは重症だ。
 
「早速今日から打撃練習に力を入れるか!」
と、この時は頭を切り替えたが、これを克服するのに
相当、苦労する事になろうとは、この時は少しも考えなかった。
 
続きは明日。

2005年03月25日

初スタメン

昨日の続きです。
2001年8月
 
練習試合ながら、息子ゲンジがついにスタメンに抜擢された。
9番センター での出場。
入団から半年近くが過ぎていた。
 
1つ上の4年生が16人。後から入った同級生をいれると18人。
その18番目だったゲンジが、外野の1画に食い込むチャンスを与えられた。
後はこのチャンスを物に出来るかどうか?
 
「守備に関しては、やるべき事はした。後は打撃と走塁が・・・」
ドラ夫は嬉しさより心配が先に立つ。
 
試合が始まった。
 
1回・2回とセンターにボールは来ない。
「このまま守備機会ゼロならなぁ」 とドラ夫も弱腰・・
 
3回の攻撃、2アウトランナー無しでゲンジの打席。
一回もバットを振らずにカウントは 2エンド3
そして最後は見逃しの三振。
 
積極性が無い打席だった。
 
試合は4回。ついにセンターへ打球が来た。
投手の股間をゴロで抜けるセンター前ヒット。
ゲンジは落ち着いてゴロを処理。
 
ランナー1塁で次打者が右中間へ鋭い当たり!
センターとライトが打球を追う!
 
「大丈夫だ。落ち着け! それはオマエの守備範囲だ!」
心の中で叫ぶドラ夫。
 
大きく回りこみ、最後は数歩前進して捕球体勢のゲンジ。
1塁ランナーはハーフウエーラインで打球を見守っている。
 
無事にキャッチ。 と その時だ!
 
 
ゲンジは捕ったボールを間髪いれずにファーストへ!
1バウンドでボールはミットのなかに。
 
ダブルプレーの成立だ!
 
ランナーは帰塁の際、油断したのかもしれない。
しかしボーンヘッドではなく、ベースに戻る時も
それほど ゆっくりした動作ではなかった。
 
このプレーに両ベンチから歓声がわいた。

続きは明日

2005年03月24日

最初のポジションはセンター

2001年8月
 
初めての試合出場を果たした息子ゲンジ。
試合に出れた嬉しさが先行している様子で、
三振を喫した悔しさは忘れているようだ。
 
この辺りが親として もどかしい・・
毎日の個人練習も、どちらかといえば「やらされている練習」
という感じだ。
 
しかしその練習が生き始めたのか、守備に関しては向上の気配が見えてきた。
そんな時、監督より 「これからは外野で少しづつ起用してみる」
とのお言葉。フライ捕球のセンスを買ってくれたのだ。
 
実はドラ夫、ゲンジが守るとしたら今のメンバー構成からして
外野だとヤマを張り、個人練習開始時からフライ捕球練習に
時間を割いていたのです。
 
全体練習時に他の子の守備をつぶさに観察しました所、
正面への飛球にはうまく反応しておりましたが、
左右や後方への飛球はどの子もイマイチの感がありました。
 
ゲンジが割り込むにはその部分で秀でるしかない。
翌日からの個人練習はフライ捕球を更に増やしました。
まず、ピッチング練習を取り敢えず中断。
思い切ってゴロ捕り練習も中断し、余った時間を
全てフライ捕球に充てました。
 
ドラ夫はノックは打てるのですが、フライの場合は正確さが
要求されます。残念ながらそこまでの技術はありません。
そこでバットは使わず、全てドラ夫が手投げでフライを上げました。
 
手投げなら左右後方と自在に投げられます。
投げるのは疲れますが、そんな事も言ってられません。
こうして明けても暮れても同じ練習を繰り返しました。
 
そしてチーム練習の時、外野のノックが始まりました。
順番を待つゲンジ。捕球だけでなく、打球の追い方、
返球動作もバッチリ教えておいた。
 
そしてゲンジの番。1つ2つと無難にこなす。
「いいぞ その調子だ!」 心の中で叫ぶドラ夫。
練習終了
 
その日は午後から練習試合が組まれていた。
そしてオーダー発表。
順に名前が呼ばれていく
 
「9番・センター ゲンジ」
 
続きは明日

2005年03月23日

親御さんにお願い

ドラ夫の入院で中断していました
「我が子レギュラー化計画・3年〜4年の頃」のカテゴリー、
本日より再開です。
 
これまでの流れで入団の経緯からライバルの登場、
個人練習の始まり、試合に初出場 までを書いてきました。
 
当時を振り返り、今日はドラ夫よりこのブログを
ご覧の親御さんにお願いがあります。
それは、「我が子に対して、理不尽な怒りを向けないで」
であります。
 
表現が難しいのですが、怒るのと叱るの違いでしょうか?
 
野球に限らず、どんな事でも「取り組み」に対するスタンスは
家庭や本人により様々です。
少年野球の場合ですと、望ましい順は
 
1・子供本人と親、そしてチームが野球に熱く取り組んでいる。
2・子供か親、どちらかが熱中し、どちらかが無関心
3・子供・親、双方共に向上心が無く、野球を上手くなりたい。とは考えていない。
 
 
私のブログを訪ねてくださる方は 1か2に該当する方であり、
3の方はこうした所へは顔を出さないと思います。
 
これはドラ夫も経験し、今でも後悔するのですが、
上手くならない息子に対して、そのジレンマを
そのまま ぶつけてしまう事があるんです。
 
サインの見落としや悪ふざけなど、明らかなミスは
本人も叱られる理由が判りますので問題はありません。
しかしながら、「どうして三振するんだ!」「なんでトンネルする!」
「あの子がスタメンなのに、何でオマエが控えなんだ!」
「なぜ、こんなに練習しているのに、上手くならないんだ!」 
 
などなど・・
  
人間ですので時には熱くなる事も多々あるでしょう。
しかし、こうした事を日常的に発すると、子供が可哀想です。
 
技術取得には個人差がありますし、それ以前に
理由の判らない事柄で、親がヒステリーになりますと、
子供は益々、パニックになってしまいます。
 
子供に「檄」を飛ばすのは良い事です。
檄と愚痴の違いを十分に理解して、子供さんに接してください。
 
かく申すドラ夫も、そのジレンマから何度息子を罵ったことでしょう・・
その度に後悔の念が押し寄せてきました。
スヤスヤと眠る息子の寝顔の前で、「ごめんな・・」と
涙ながらに謝ったのも一度や二度ではありません。
 
日々の練習で少しづつ向上していきましょう。
「いかに子供にヤル気を起こさせるか?」
これを導くのが指導者と家庭の努めではないでしょうか?

2005年03月13日

打席に入った背番号24

昨日の続きです。
2001年7月
 
監督が主審に、息子ゲンジを代打と告げた。
初めての試合出場である。当の本人も面食らった表情。
それはドラ夫も同じで、思いがけない成り行きに
嬉しくもあり、不安でもあった。
 
とにかくこの時は親のほうが緊張してしまい、身体が震えた。
高校時代、「この勝負に勝てばインターハイ出場」 という場面より、
この時の方がビビリました^^
 
試合展開から察するに、この起用は「温情」があったのは間違いない。
結論からいうと、この代打出場がゲンジに及ぼした影響は大きかった。
「試合に出れた」 という現実がよい方向へ息子を変えたのです。
 
神妙な顔つきで打席に入ったゲンジ。
監督に言われた通り、見事3回空振りで三振してきた。
 
試合終了
チームは完敗であったが、入団から五ヶ月目での息子・初出場に
ドラ夫もなんともいえない充実感があった。
 
監督がドラ夫の所へ歩み寄り、
「いいスイングしてたよ。」と一言。ドラ夫がお礼を言うと、
「今は、ああいう場面でしか出せれないからなぁ(笑)」
 
大げさに言えば、この出来事がゲンジの流れを変えたかもしれない。
 
続きは後日

2005年03月12日

初陣

昨日の続きです。
 
2001年7月
 
試行錯誤でスタートした個人練習。
決めたからには継続しなければ意味がない。
ドラ夫もその為に仕事をやりくりして、
出来る限り夕方は息子と付き合うよう努力した。
 
さてチームのほうですが。3・4年生のBチームとはいえ、
大会や練習試合もそれなりに組まれていました。
ドラ夫も保護者の一員として、塁審など協力は惜しまなかった。
 
ここまでの試合、息子ゲンジの出番はゼロ^^
以前にも書きましたが、4年生は16名の大所帯で
途中出場でも3年生のゲンジに出番はない。
もっとも、そんな実力も伴っていないのが現実だが。
 
そうは言っても、やはり我が子に出場してほしいという願いは
偽らざる心境だ。
 
そんな時、「4年生大会」という公式戦が開催された。
大きなクラブになると、各学年で1チームが編成出来るのは珍しくない。
そんなチームは6年生がAチームで、5年生がBチームになる。
 
そうなると、4年生以下の選手は大会参加が少なくなる。
そうした背景から創設された大会です。
 
初戦の相手は、この年の数年前に県大会を制した事もある名門クラブ。
ちょっと荷が重い相手となった。
 
試合が始まると、さすがに低学年とはいえ相手はよく鍛えられている。
ソツのない試合運びで点差は広がるばかり・・・
こちらは細かいミスも重なり、次第に一方的な展開になってしまう。
 
この時のゲンジはバットボーイをしたり、ファールボールを磨いたりしていた。
彼なりに、自分の立場で試合の中に入りこんでいる。
けなげな表情でボールを磨く息子の姿を見て、不覚にもドラ夫は
胸に込み上げるものがあった。
「早く上達させて、試合に出させたいものだ・・」と思わずにはいられない。
 
 
試合は最終回の攻撃。何1つ見せ場を作る事もなく2アウト・・
スタンドの応援団も「今日は完敗だな・・」と落ち込んだ状態。
そんな時、監督がひときわ大きな声で叫んだ!
 
「ゲンジ! 三振してこい!!」
 
思いがけない場面で現れた。
我が子「初陣」の時である。
 
続きは明日。

 

2005年03月11日

決めた個人練習

昨日の続きです。
2001年7月
 
突如 現れたライバルに、息子ゲンジよりドラ夫のほうが燃えてきた^^
現時点では差は歴然。追い抜くなどと大げさな事は言わず、
最低現の動作と知識を植え付けたい。
 
そうはいってもゲンジはこの時まだ8歳。
まして自分から野球が好きで入ったのではなく、
親の勧めでなんとなく始めた状態。
 
夕方の個人練習といっても、息子に意識が無ければ
ドラ夫が尻を叩くしかない。まずは「なぜ練習をするのか?」を
説明した。このまま負けてもいいのか? 相手に勝ちたいと思わないか?
 
次は目標を設定した。そしてその目標を達成したときの喜びを
味あわせてやりたかった。 
 
その時の目標は
 
1.イージーなゴロを確実に捕球する。
2.自分の守備範囲に飛んだフライは確実に捕る。
3.トスバッティングは 10球のうち7回はバットにあてる。
4.投球練習は規定より3メートル短い12メートルから、10球のうち半分はストライクに入れる
 
と、こんな感じでした。
今から思えば何ともない目標に見えますが、当時にしてみれば
これでもクリア困難か? と思える内容なんです。
 
それからは毎日、その目標に向かった練習です。
ただ時間をかければよいものではなく、1時間程度です。
「毎日実行する!」 という意気込みが大切なのです。
それでもゲンジは最初は気乗りしていませんでした。
 
野球が心底から好きではなかったのですね。
それでも入ったからには、努力させるのも重要です。
「イヤなら辞めればいい」という安易な気持ちですと、
何事においてもそのような邪心が起こるものです。
 
こんな感じで我が家の個人練習はスタートしました。
 
続きは明日。

2005年03月10日

競争相手の出現

昨日の続きです。
2001年6月
 
三ヶ月間、たった一人の3年生だった息子ゲンジに
待望の同級生がチームに加わった。
しかし実力は相手が上回る。これをバネになんとか奮起を期待したが・・
 
ゲンジはそんな事はお構いなしで、闘争心のかけらも見えない。
「アイツに負けたくない!」という意志表示がないのです。

今の世の中、良くも悪くも「競争社会」ではないでしょうか?
受験のような学業もそうですし、就職もそうです。
就職すれば今度は出世争い。
 
ドラ夫は別にゲンジを良い学校に入れて、良い会社に入るためばかりの
教育だけをしたいとは思っていません。
ただ、これから迎える息子の人生に、乗り越えねばならぬ大波が
来た時、それに立ち向かえる気概と根性を、野球を通じて学ばせたかったのです。
 

プロフの所にも書きましたが、ドラ夫は高校時代に
某競技で全国大会4度出場、個人戦ベスト16が二度の実績があります。
高校入学直後の1年生から先輩を指しおいて、団体戦のメンバーにも抜擢されました。
 
自分自身も他の競技ではありますが、自分なりの努力で
このような良い体験を持つ事が出来たのです。
 
息子ゲンジにも、目標に向かって努力する必要性を急に感じました。
本人に自覚がないなら、親がアシストするのも教育の一環です。
それからというもの、ドラ夫はゲンジの意識改革に取り組みました。
 
野球指導に関してはド素人のドラ夫が、思いついたのは・・
「ライバルに負けないためには、個人練習
しかない!」
 
続きは明日^^

2005年03月09日

遅れて入団した同級生

昨日の続きです。
2001年6月
 
入団から3ヶ月が過ぎた。キャッチボールもサマになってきた頃。
この時期から1つ上の4年生と混じって練習できるようになる。
しかしノックなどはまだコーチが手加減する段階^^
強い打球を捕るレベルではなく、ゆるいゴロを丁寧に捕球する感じ。
 
監督・コーチも、たった一人の3年生である息子ゲンジには
いろんな意味で気を遣っていたのだろう。

当のゲンジは、まだ本当の意味で「野球」を好きになっていない。
ルールも曖昧だし、テレビのプロ野球中継にも関心を示さない・・
頭の中はポケモンと遊戯王カードだけなのかも?
 
そんなある日、クラスの同級生が入団してきた。
1人だけの3年生から開放される^^
しかしその子の実力はゲンジをはるかに凌いでいた。
 
その子の兄もこのチームのOBで、この時は中学硬式に所属。
ゲンジの同級生も、この兄の影響で野球にのめり込んだらしい。
当初は4年生になったら入団するつもりが、本人の希望で
途中からの入団となった。
 
後から入ってきた子が、すぐさま練習に適応。
上の4年生の一部を脅かす存在に!
ドラ夫も危機感が走った。このままではゲンジの立場がない。
ライバル心が芽生えてくれるのを期待したが、当のゲンジは・・・
 
続きは明日。

2005年03月08日

小学3年の春の頃

昨日の続き
2001年4月
 
入団から二ヶ月目に小学3年生に進級した息子ゲンジ。
土日のチーム練習もようやく自分の中で習慣づいてきたのか、
グズる事も少なくなった。
 
チームは3・4年生主体のBチーム。
とはいっても3年生はゲンジだけ。
4年生は16人の大所帯。ゲンジは当然、補欠の補欠^^
 
こうした状況からか、自分から「うまくなろう!」という
気概が見えてこない・・・ 同じ年のライバル不在の環境で
ただ流された感じでの練習で身に入ってない様子。
 
練習も皆とは別メニューで基本動作の繰り返し。
まぁ無理もない。その時の実力では連携プレーには程遠い
ありさまで、首脳陣もゲンジには長いスタンスでの指導を視野に入れていた。
 
1つ上の4年生はポジション争いが熾烈!
うかうかしていると、控えに下がるから選手も必死だ。
今から思えばこの時にもっと競争意識を植え付けておけば?
と後悔する。例え下級生でも実力次第ではポジションに
食い込める。という意識を持たせるべきだった。
 
しかしこの時のドラ夫は、初めから諦めていた。
「今はまだ無理。そのうちに・・」 なんて考えていた。
しかし、そんな甘い気持ちを一掃する出来事があった。
 
続きはまた明日^^

2005年03月07日

甘い考えの妻

昨日の続きです。
2001年2月
 
前日の初練習後の様子はごく普通だった息子ゲンジ。
翌日の朝は一転、「野球に行きたくない」とベソをかく始末・・
理由をきいても明確な答えは返ってこない。
 
初めが肝心! と思ったドラ夫は少し厳しくゲンジに説教。
それを横で聞いていた我が家の奥方が口を挟む。
「今日は気分が悪いなら休ませればいいじゃん。」
妻には前日のチーム方針の話はしていない。
 
子供の言い分を全て受け入れていては、本当の意味で
子供のタメにはならないから、ドラ夫もその事を妻に説いた。
しかし妻は 「まだ2年生なんだから、そんなに厳しくする必要はない」
の一点張り。 しかし入団2日目で早くもこんな調子では
先が思いやられる感じでした。
 
女親は子供を守ろうとする「防衛本能」が働くのだろうか?
息子の野球が原因で、夫婦喧嘩になるとは・・^^
 
その日はなんとかゲンジをなだめて練習に参加。
ドラ夫も遠くからずっと見守っていました。
整列する時、1番端で1人だけ目立つ位、背の低いゲンジ。
ポツン。と立っていた息子の姿。あの光景は今でも
忘れる事が出来ません。
 
正直、この時はいつ退団になっても不思議ではない状況でした。
こんな子が、6年生になった時に大活躍する事になろうとは、
この時点では予想も出来ない事でした。
 
続きは明日。

2005年03月06日

2日目の挫折

昨日の続きです。
2001年2月
 
初日の練習は軽めのメニューでなんとか終わる。
しかしチームの方針が「勝利追求」と知り、ドラ夫も
フンドシを締め直す気持ちでした。クラブチームである以上、
「勝利」を追及するのが当然といえば当然で、
「馴れ合いで仲良く」てな感じよりは、むしろ望ましい。
 
とはいえ低学年のBチーム。ある程度の「楽しさ」も
子供に植え付けなければ? と思っていたら
Bチームの監督より同じ意見を先に言われて安堵する。
 
この時点で息子と同じ学年の子供はおらず、ゲンジ1人だけなのが
少し気がかりではあった・・
本人が望んでの入団ではなく、親の後押しでの入団であったから、
途中で辞めなければなぁ。 と思うのが本音でした。
 
そして翌日の朝。練習に連れていこうとしたら、早くも
ゲンジがグズりだす・・・ 「野球に行きたくない・・」
 
続きは明日^^

2005年03月05日

勝利至上主義の監督

昨日の続きです。
2001年2月
 
練習前の整列時に監督が放った言葉は「勝利至上主義」
の宣言でした。 「勝つ」ことに拘る姿勢を選手の前で
鮮明に打ち出したのです。
 
それはそれで良い事だとドラ夫は思いました。
それがチーム・監督の方針な訳ですから、それに従った
指導・運営が行われればよいのです。ただ・・・
 
ドラ夫親子は「元気に楽しく」と勝手に解釈しての
入団でしたから、考え方が微妙にズレていたんですね。
ドラ夫はスグに頭を切り替えたんですが、息子ゲンジはどうなのか?
 
救いは前述の監督は5・6年生主体のAチーム担当。
2年生のゲンジは4年生以下のBチーム所属でしたから、
多少は方針も違うかな? というところでした。
 
続きは明日^^

2005年03月04日

入団初日

息子ゲンジが入団初日をむかえたのが2001年の2月。
まだ小学2年生。ドラ夫も妻も「元気に楽しく野球をしてくれれば」
と思っておりました。
 
初日はドラ夫も心配なので付き添いで見学に。
最初は緊張した様子のゲンジも、校庭に着いた頃には落ち着いていた。
同じ小学校の子供ばかりがメンバーだから、その点は親も気兼ねは少ない。
 
ちなみにドラ夫親子は一度もチーム見学せずに入団を決めました。
いよいよ練習開始前の整列。そして監督が放った言葉とは・・

続きはまた明日^^

2005年03月03日

息子が入団

息子ゲンジが入団したのは小学2年の2月でした。
妻の友人の子供がチームにいて、着用出来なくなったユニフォームや
道具を払い下げてくれたんです。
「道具は全部あるから入団させない?」という誘い文句に妻が即断!
 
元々息子は体育は得意で、何かスポーツをさせたいなあ
と、妻と話はしていたんですがまさか勝手に決めてくるとは・・・^^
 
当の息子も目の前に並べられた多くの野球道具に満更でもない様子。
それまでキャッチボールすらした事がない息子もこうしてチームに入団しました。
 
この時点で我が家はまだ、チームの厳しさや辛さに対する認識が甘かった・・・

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