2005年10月27日

エースを狙え!

「我が子レギュラー化計画・3年〜4年の頃」 最終回



前回の続きです。

2003年3月

前月の体育館でのチーム始動から一ヶ月。
まだまだ外には雪が残る2003年3月、ゲンジは投手練習に明け暮れていた。

監督の構想での二人の投手。その一翼を担うゲンジも、急ピッチで仕上げに入る。
もう一人の投手候補は年下のC君。どちらが主戦を務めるか?
この辺りの競争も熾烈。

この時点での評価はC君のほうが上。
ストレートの速さ、牽制の技術、どちらもC君のほうが勝っている。
ゲンジがリードしていたのはコントロール。

言わばどちらも一長一短がある訳で、以降の指導と本人の努力でどうなるか?

前年秋の紅白戦で、メッタ打ちをくらってから4ヶ月。
一冬越してどれだけ進歩したか?

冬の間は自宅での練習にも力を入れてきた。
当初は焦っていたのは親のほう。しかし気持ちを切り替えて、
地道にトレーニングに取り組んだ。現状ではライバルのほうが一枚上。
それを焦った所で仕方がないと開き直った。

この月の下旬、ようやく雪解けも進んで外での練習が可能になる。
そこで簡単なミニゲームを行った。
ゲンジとC君が別々になり、それぞれ投手をこなす。

結果は二人共無難な滑り出し。大崩れする事なく良い出来でした。
これを見たこちらも少しは自信がついた。
ゲンジも満更ではない様子。

さあ! 後は本番だ! 実戦を経験しながら成長してほしい!

大いなる希望を胸に、ゲンジの野球生活は小学5年へと進んでいきます。





62回に渡ってお送りしてきた、「我が子レギュラー化計画・3年〜4年の頃 」のカテゴリー。
今回が最終回です。

改めて最初から読み直してみると、本当に色々な出来事がありました。
キャッチボールの経験すら無い状態で入団。三振街道の驀進。
連続打席無安打。息子の自意識の欠如。

この頃が一番大変というか、悲壮感があった頃でした。
放っておけばどれだけ楽だったか?^^
でも当時は必死でした。これは私の性格なのか、自分の子供が覇気もなく、
何の努力もせずに他の子に負けるのは、とても容認出来ませんでした。

ゲンジにとってはいい迷惑だったかもしれません。
しかし尻を叩いて始めた自宅練習のおかげで、段々と結果が伴うようになり、
4年生の夏にはようやく、日の目を見る事が出来ました。

「目標を持って、それに取り組む」 この事を息子に解ってもらえただけでも、
少年野球に入れて良かったと思ってます。

我が家の場合は私の強制というか、私の主導で練習を始めました。
こうしたやり方には賛否があると思います。
子供自らが率先して練習をするのが一番でしょうが、そうでない場合は
親がレールを敷いてやるのも有りかな? と思っています。

何もせずに、選手起用の事ばかり口を挟む親御さんがおられますが、
そうした行動をとる前に、ご自分の子供さんのレベルアップを目指す事を、
私は強くお奨めします。毎日少しの時間で構いません。
息子さんと一緒に野球をする時間を作ってあげてください。

例えそれでレギュラーが獲れなくても、我が子と共有した時間は、
何物にも代え難い、貴重な財産ではないでしょうか?

このブログが少しでも、そうした親子練習のきっかけになれば幸いです。

さて次回からは新カテゴリー、「我が子レギュラー化計画・5年生、投手挑戦編」
と題して新たなスタートを切ります。

結果から言いますと、投手挑戦は失敗に終わるのですが、
そこに至る過程には、様々な出来事がありました。

では新カテゴリーの展開に期待してください!

2005年10月20日

2003年のスタート

前回の続きです。

2003年2月

色々あった2002年も終り、新たな年を迎えた。
チームは2ヶ月のオフシーズンも終え、新チームのスタート切った。

2月の第一土曜日。外は一面の銀世界。
体育館での始動となった。

以前にも書きましたが、この年は6年生単独のAチームと、
5年生以下のBチームの2チーム体制。

4月に5年生に上がるゲンジはBチームの主力となる。
前年からの継続メンバーに加え、新たな加入者も数人おり、
全部で20人ほどがBチームのメンバー。

監督の他、スタッフも前年から継続。

練習開始前、監督より今年の抱負を選手は聞かされる。
次に選手一人一人に、今年の目標を言わせた。

ゲンジの目標は、『1試合に、最低1回は塁に出る』
咄嗟に出た言葉だと思うが、堅実な目標かもしれない。
もう少し、大風呂敷を広げててもよかったとは思うが^^

選手達が準備運動をしている間、指導者と一部父兄とで、
今後の方針について意見を交わした。

監督は去年の実績に加えて今後の適性を見た上で、各ポジションを固めたい意向。
主要ポジションの構想は出来ており、ゲンジはピッチャーとショート。

大会参加は積極的に行うとの事。
Bチームだが、可能な限り2チームエントリーをしてゆく。
勝敗に拘らず、今年は「積極的にチャレンジ」 が目標。

ある意味では今年は力を試す年にして、本命は翌年。
すなわちゲンジ達が6年生になった時を見越している。
だから負けて元々で、BチームながらAチームと同じ大会にも出る事に。

もっとも大会によりけりで、あくまでも可能な大会は。という条件つきですが。

それとBチームの選手は、例え良い実績を挙げても、
上のAチームには引き上げない事も確認された。

これはAチームが同学年でまとまっており、人数も多いので、
敢えてBからは選手を供出しないとの事。
Aチームとのスタッフと話し合った結果、そう決まったらしい。

これはこちらも同意見。掛け持ちになると得るものも多いかもしれないが、
負担が増えるのも事実。チームを一つに絞り、チームワーク強化を重視。

大人同士もこの時点では考えもまとまり、順調なスタートに見えたが、
シーズンが進むにつれ、良い面・悪い面が出てくる事になる。

続きは後日。

2005年10月13日

冬の練習計画

前回の続きです。

2002年12月

長いようで短かった4年生の少年野球活動。
11月一杯で全ての日程を終了し、2ヶ月間の休みに入った。

チームの始動は翌年2月の第一土曜日。
それまではチームとしての活動は無い。

だがこの2ヶ月間の過ごし方は重要だと位置付けた。
入団以来、ようやく結果が伴いだしたので、ここで手を緩める気にはなれなかった。
そうでなくとも翌年の投手候補。覚えることは山ほどある。

更にショートとの併用の話もあり、外野でこれまでプレーしていたゲンジには、
立ち止まっている暇は無かった。

思えば前年のこの時期は、気管支炎を患い病床にあった。
これが災いとなり、長期間練習から遠ざかる事態を招いた。
結果、シーズン当初は後発の選手の追い上げにあって苦労する。

今年は同じ轍を踏まないよう、万全の体制で挑みたいと考えていた。
幸いゲンジの意識も高く、目標に向かってやる気は上々。

この時まだ9歳なので、体力作りというより技術修得を目指す。
とにかくまずはピッチング。これがメインとなる練習計画を作る。

ピッチングというと、「投げ込み」がまず頭に浮かんだが、
そもそもフォームが基本から大きく外れていて、その動作がバラバラだったら、
幾ら投げ込みをしても、それは「無駄な努力」に終わると考えた。

そのためにも、まずはフォームを念入りにチェックする事から始める。
自宅の練習場には大きなガラス扉があり、シャドーの様子は自分で見る事が出来る。
それに加えビデオで撮影をし、自分のイメージと実際のフォームの違いを認識させた。

フォームに関しては必要最小限の助言に留める。
あまり細々と言うのは混乱を招くし、悪い動作でなければ個性もある程度は残したい。
プロでも一人一人フォームが違うので、そのように考えた。

フォームチェックの項目は、
・ステップ幅
・軸足の折れとお尻の下がり
・上体の開き
・腕の伸び具合(肘が前に出るか?)

この程度に留めて、しばらくは様子を見る事に。

後は牽制球のテクニック。ボークの理解。セットポジションの会得。
これらを毎日満遍なく取り入れて、練習に励みました。

フィールディングに関しては、バント戦法を行うチームが少ないので、
この時点では後回し。というか、そこまでの余裕がありませんでした。
あまり詰め込むのもどうかと思い、大体こんな感じのメニューでした。

冬のため外で実際に投げる事が出来ず、室内での動作の繰り返しでしたが、
ここでの基本は、今でも役立っていると思っています。

こうしてオフシーズンは過ぎてゆき、チーム始動の日を迎える事になります。

続きは後日。

2005年10月04日

年下のライバル

前回の続きです。

2002年11月

この年最後の試合は終わったが、引き続き週末のチーム練習は続いていた。

翌年は6年生のみのAチームと、5年生以下のBチームの2チーム編成。
この年4年生のゲンジは、Bチームの投手候補の一人。

当然ながら練習の比重は、投手練習が主となる。
球のスピードは見劣りするも、コントロールは及第点。

この場合、短所である球速アップに目が行ってしまう。
学童野球は変化球は禁止。それ故に、スピードは大きな武器となる。
だがスピードを上げると言っても、具体的にどうすればいいのか?

筋力トレーニングなどで球速アップも望めるかもしれないが、
小学4年生の子供に、そうしたトレーニングは知識がないと抵抗を感じた。
ある程度、身体が出来上がれば検討するが、当時はまだそこまでは踏み切れなかった。

翌年の開幕までにはまだ時間がある。だが、冬の豪雪時期を考えると、
充分な実地トレーニングを積むには、雪融けの春まで待たなければならない。
思ったほど時間は無い。というのが本音でした。

何も焦る必要は無い。と思われるかもしれませんが、
この時は焦ってしまう理由がありました。それは・・
もう一人の投手候補が、一つ下の3年生の子だったからです。

この時点での投手としての実力は、その3年生の子のほうが上回っていました。
体格ははるかにその子のほうが小さいのですが、スピードのある球を投げます。
マウンド捌きも余裕があり、いわゆるセンスの有る子でした。

監督もその子のほうをメインと考えているようで、二人で競わせて育成する方針。
こうなると、なんとか投手としてモノにさせたいと思うのが親の気持ち。

今まではどちらかと言えば、一つ上の学年の子がライバルでした。
ところが今度は年下の子がライバル。 まぁライバルといっても
投手としてエースの座を争うライバルで、投げない時はショートのポジションが
確保されていましたから、試合に出るという事に関しては問題なかったのですが。

だが年下に負ける訳にはいかない! 
という気持ちが、親の私のほうに強くありましたので、
前述のような焦りを生んだのかもしれません。

冬が近づいていた頃でしたので、夕方は暗くて外での練習は出来ません。
学校から帰宅後、少しでもピッチング練習が出きるよう、
庭にピッチングネットを置いたのもこの頃でした。

新品のボールを3ダース用意し、一人で練習が出来るよう準備をしました。
私が帰宅するまで、ゲンジは一人で投球をし、夜には室内でシャドーピッチング。

打撃でポジションを獲り、クリンアップを任されたのもつかの間。
今度は「エースの座」を求めて、新たな目標に向かって、個人練習は続きました。

続きは後日。

2005年09月22日

皆の励まし

前回の続きです。

2002年11月

この年最後の公式戦。同点で迎えた最終回の守り。
2死2塁のピンチの場面、セカンドへの牽制が逸れて、
カバーのゲンジがまさかのトンネル。

チームはサヨナラ負けを喫し、初戦で敗退した。

凡ミスでの敗戦。しかも自分の子が戦犯となり、こちらも穴があったら入りたい心境。
申し訳ない気持ちも一杯だったが、意外にも周りの父兄達は
こちらに冷ややかな視線はなく、逆にねぎらいの言葉をかけていただいた。

まだエラーの光景が染み付いていたから、こちらもどう対応してよいのか?
随分と戸惑ったが、この時の皆のフォローには助けられた思いがする。

試合後、球場外で監督と選手が反省会。
ゲンジは口を真一文字にしたまま神妙な顔つき。
打撃のほうも結果が伴わず、守備のエラーも重なって、当然だが責任を感じている様子。

監督はニコニコ顔で口を開いた。
『今年最後の試合、皆はよく頑張った! ナイスゲームだ!』

この一言で、何人かの選手が堰きが切れたように泣きはじめた。
あちこちでススリ泣きの声が聞こえる。
周囲で見守っていたお母さんの一部も貰い泣き。

ゲンジは一点を見つめたまま、涙を流さない。

監督が一通り話しをした後、必然的に最終回の守りの事に話がいく。
2死走者無しからのサヨナラ負け。
選手達が少しづつ、重い口を開き始めた。

『僕のトンネルのせいです。すみません・・』
とゲンジが声を押し殺すようにつぶやいた。

すると皆が、ゲンジをかばいはじめる言葉を投げかけ始めた。

『ゲンジは悪くないです。僕がデッドボールを出したからいけないんです。』
ピッチャーの子がつぶやく。

『いや、盗塁を殺せなかった俺がダメなんだ。』
キャッチャーの子が投手をかばう。

『ゲンジ、ゴメン! 俺がベースに入るのが遅れたからアカンのや!』
とショートの子が大きく叫んだ。

これを聞いて不覚にもグッとくるものがあり、ドラ夫は足早にその場を離れた。
普通ならゲンジが糾弾されても、何らおかしくはない。
しかしチームメイトは、それをしなかった。

敗戦の責任を一手に背負うつもりだったのに、選手達の優しい気遣いには、
本当に救われた思いでした。

こうなったら、この日はゲンジを責めるのは止めよう。
そして長いシーズンが終わった事、この1年よく頑張った事。全てを褒めてやろう。

解散となり、クルマに乗り込んだゲンジ。
こちらから叱責されると思い込んでいるのか、表情が険しい。

『お疲れさん! この1年、よく頑張ったな^^』
こうして声をかけると、それまで我慢していた糸が切れたのか、
ゲンジはこの日初めて、涙を眼に一杯浮かべていた。

続きは後日。

2005年09月14日

呆気ない幕切れ

前回の続きです。

2002年11月

5年生以下の選手による新人戦。この年最後の公式戦だ。
トーナメントを勝ち上がれば、その分余計に試合が出来る。

5年生が主力の大半を占める中、4年生の息子ゲンジが初の4番抜擢。

思えばこの年の6月末まで、ゲンジはノーヒット街道を驀進中だった。
7月の交流戦で初ヒットがホームラン。3打席連続ホームランを成し遂げた以降の成績は
打率は7割を超え、三振はゼロという安定ぶりだった。

初めの頃はゲンジの起用に、懐疑的な気持ちを持っていた5年生の一部父兄も、
この頃には何の異論も挟まないようになっていた。

翌年は新6年生だけの単独チームとなるから、このメンバーでの試合は、
この大会が最後。だから尚更4番という打順は嬉しかった。
後はゲンジが、普段の力を発揮するのを願うばかり。

ところがこの試合は、ゲンジが攻守にブレーキとなってしまった・・

最初の打席は空振りの三振。入団当初は当たり前のように三振していたが、
夏以降は初めての三振。やはり気負いがあったのか?

続く2打席目はボテボテのピッチャーゴロ。
3打席目はまたも三振。全くタイミングがとれていない・・

だがこれより悲惨な出来事が起きてしまった。

試合は同点のまま最終回の守り。
時間の関係でこの時点でうちの勝利はなく、この回を抑えて引き分けにして、
抽選に持ち込むしかないのが、こちらの作戦。

簡単に2アウトを取って後一人。ここで投手が死球を出した。
相手ベンチはイチかバチかで盗塁を慣行。これがセーフとなり2死2塁。

ここでランナーは気負ったのか、リードが異様に大きい・・
ピッチャーは素早いモーションでセカンドへ牽制!

バッチシアウトのタイミングだったが、ショートがベースに入るのがワンテンポ遅れた。
『うわー! 惜しいなー!』 とベンチもスタンドも溜息。

勢いのあった牽制球はセンターへ転がっていく。
カバーのゲンジがゆっくりと捕球体勢に入った。
ところが直後に、スタンドが歓声と悲鳴で騒然となった!

「あっ! トンネルだ!!」


なんと、カバーのゲンジがボールをトンネル・・
ボールは転々と外野奥深くへ。必死で追いかけるゲンジを尻目に、
歓喜のセカンドランナーがホームへ駆け抜けた。

サヨナラ負け。

ゲンジの軽率なプレーで試合が決した。

ようやくボールに追いついたゲンジ。ホーム付近で相手ベンチが総出で喜んでいる。
その光景で全てを察したのか、ボールを握ったまま、その場に立ち尽くしていた。

続きは後日。

2005年09月07日

四年生の最終戦

前回の続きです。

2002年11月

この年 四年生だった息子ゲンジ。
早いもので、シーズンの最終戦を目前に控えていた。

この大会はいわゆる「新人戦」
五年生以下の選手に出場資格がある。

以前にもお話しましたが、この年の五年生は人数が多く、
六年生が9人ギリギリだったので、一部の五年生がAチームに配属。

この新人戦はAチームの五年生を合流させて、新たなチーム編成となる。
夏以降、5番センターという位地を手にいれていたゲンジ。
しかし、Aチームから新たな選手が来たので、ポジションも予断を許さない。

思い起こせばこのメンバー、ゲンジが入団した時の低学年チームの顔ぶれだ。
途中退団した選手もいるが、大体は同じメンバー。
当時のゲンジは、実力的に18人中18番目の選手だった。

こうして再びチームを組むと、ゲンジも相当進歩が伺える。
親の欲目ではないが、実力的には18番から3〜5番くらいにはジャンプしたと思う。

このチームはこの大会のみの編成。翌年は新六年生だけでAチームとなり、
ゲンジを含む新五年生以下でBチームを組む事が、この時既に決定していた。

だからこちらも、ある拘りを持っていた。
それはこのメンバーでスタメンを獲り、結果を出してこそ、
「レギュラー奪取」という本当の目標を達成した事になる。

3年生時も時折スタメンはあったが、所詮は練習試合。
あれから1年。大事な新人戦で活躍をして、この年を締めくくってほしかった。

この時は翌年の投手候補というのが頭に強く、打撃のほうは練習が滞り気味。
だから一抹の不安もあったのだが、練習では好打を連発していた。

そして大会当日。

Aチームの監督・コーチも応援に駆けつけてくれた。
保護者の皆さんもスタンドに陣取る。いよいよオーダー発表。
ゲンジはスタメンかベンチか?

順に名前が呼ばれる。意外に早くゲンジの名が!
『4番・センター ゲンジ』

続きは後日。

2005年08月31日

迫りくる焦り

前回の続きです。

2002年11月

秋も深まり、4年生の少年野球生活も残りわずか。
翌年の投手候補として、「スピードアップ」を目標に定める。

週末のチーム練習では、途中から別メニューになり
ピッチング練習を行う。投球だけではなく、
牽制球の投げ方や、ボークに関する知識、プレートさばき等も教わる。

少しづつサマになってきたが、マウンド度胸は実戦の積み重ねで慣れるしかない。
まだ翌年の開幕までに時間はある。だが、ドラ夫は少々の焦りがあった。

ゲンジがここまで、それなりの成績を出したのは、ひとえに個人練習の賜物だろう。
素質のある選手ならまだしも、センスがあるとは言えないゲンジが、
週末の2日だけの全体練習だけでは、とてもここまでは辿り着けないと思う。

これまでは主に打撃強化に取り組んできた。それには一定の目星がつき、
今度は投手が目標。当然、これ以降も個人練習は続けるのだが、
問題はその練習方法だった。

この時は晩秋とも言える時期。夕方の日暮れは早く、外で練習は出来ない。
こちらとしては平日の個人練習で、毎日40球程度を実際に投げさせたいのが本音。
そのつもりでキャッチャーミットも購入したが、夕方がダメとなると早朝しかない。

ところが当地は冬の訪れが早く、この時期の朝の冷え込みも厳しい。
自分も仕事を持っているし、なにより妻が朝練は反対の姿勢。
となると、平日は実際にはボールを投げれない。

チームも毎年、12月と1月は活動休止。2月から始動になるが、
そんな頃は外は雪だらけ。実際にグランドを使えるのは3月中旬以降になる。
そう考えると時間があると言っても、実際にビシバシと投げ込みが出来る期間は
ほとんど無い事になる。

投げ込みだけが練習ではない。それは判っている。
しかしこの頃のドラ夫は、そうした気分にはなれなかった。

先日の紅白戦で打ち込まれた姿が、頭に焼き付いている。
春にはなんとしても、一定の成果を出させてあげたい。
そんな思い込みが日増しに強くなり、自分でプレッシャーを抱え込んでいた。

当のゲンジはまるでリラックス。
というか、あまり真剣にそこまでは考えてはいない様子。
親子で捉え方にギャップが生じていた。

続きは後日。

2005年08月23日

意気消沈

前回の続きです。

2002年10月

紅白戦で初めて、実戦形式のマウンドに上がった息子ゲンジ。
結果はメッタ打ちをクラってしまう。

監督はコントロールの良さを指摘してくれ、一定の評価を貰ったが、
当のゲンジは意気消沈。 自信を失い落ち込んでいる。

翌年の投手候補は二人。もう一人の子はこの日、好ピッチングを披露。
しかも一つ年下の3年生だ。これもゲンジは頭にあるのだろう。

元々、野球を始めるまでは引き篭もり気味の性格。
根がそうした性格なので、自分に自信を持つという事が出来ないでいる。

ドラ夫はここが肝心と、ゲンジを激励した。
監督に言われた事も大袈裟に褒めてやる。
ところがゲンジは終始うつむき気味・・・・

「どこが自分でダメだと思った?」 と質問。

「・・・ やっぱりスピードが無いのがダメなんかなぁ・・」 とゲンジの返答。

「じゃあこれからの目標が出来たやん。スピードを出す練習をしていこうよ。」

「そうだね・・ でも僕がピッチャーでホントにいいの?」


これにはドラ夫も困ってしまう。
そもそも投手というポジションは、本人に明確なやる気が無いと務まらない。
監督の推薦とはいえ、本人が弱気のままでは大任は任せられない。

この時のゲンジは本当に投手への拘りがあるのか?
そこでドラ夫は提案した。

「今日はまだ初めてだから無理もない。しばらく努力してみようよ。色々と試しながら練習をして、それでダメだったらピッチャーを降りればいい。 だから今日の結果だけで落ち込むのはもう止めよう。」

ようやくゲンジも少し笑顔が戻り、黙って頷いていた。
本当なら負けず嫌いの、闘志を前面に出す性格の子になってほしいが、
こればかりは仕方ない。野球を通じて少しでもそれに近づければ良いのだが。

しかしこれで当面の目標が定まった。『スピードアップ』
これに親子で挑戦する事になるのだが、当時のドラ夫はゲンジの長所である、
コントロールの良さ。という項目を全く軽視してしまった。

これがこの後、様々な苦労を引き起こす遠因となったのかもしれない。

続きは後日。

2005年08月17日

前途多難?

前回の続きです。

2002年10月

翌年の投手候補を言い渡された息子ゲンジ。
少しづつ自宅でピッチング練習を開始していた矢先、
チーム練習での紅白戦に登板指令が出た。

紅白戦なので言わば練習の舞台。あまり神経質になる必要もないかもしれないが、
プレートさばきやボークの事などは、まだ教えていない段階。

監督にその事を指摘するも、
「練習ですから気楽に投げさせましょう。いけない部分はその都度教えればいいですから。」

確かに実戦感覚での練習は勉強にはなる。
しかしこの時はそんな気分にもなれなかった。
自信を失いはしないか? この点が心配。

親としてはある程度の見込みがたってから、満を持しての登板といきたかった。
しかし考えようによっては、最初に投手の苦しさや責任を植え付けるのも、
今後の肥やしになるかもしれない。

ゲンジもまさか? という表情。 この日にマウンドに上るとは思っていなかった様子。
見よう見真似で紅白戦開始。

緊張した感じで動作もぎこちない。
そして第1球はストライク。続く2球目はヒットを打たれる。

次の打者、初球ストライクの後、2球目がまたもヒット。
セットポジションだと球威が更に無くなる傾向。

ポンポンと投げるがどんどんと打たれる・・
6人続けてヒットを打たれ、ようやく下位打線でチェンジになる有り様。

続く2回。この回も先頭から打たれまくる・・
ボールにスピードが無いので、面白いように打たれている。

見ているのも可哀想な程。ここで監督より降板の合図。
他の選手にマウンドを譲り、ゲンジはセンターへ。

練習とはいえ、少し気の毒な感じ。
「やはりまだ早過ぎたかなぁ。」 とドラ夫も意気消沈。
ゲンジも落ち込んだのか、打席でもバットが湿りがち。

そんな感じで紅白戦終了。
まだ初めての登板ながら、「投手としての資質に欠けるかな?」
とこちらは思っていた。

そして監督が歩みより、ドラ夫に一言。
「やはりゲンジは投手向きですね。今日投げさせて、それがよく判りました。」

「え? どこが投手向きなんですか?」 とドラ夫も不思議な気持ち。
あれだけ打たれまくった選手のどこが投手向きなのか? 意味がよく解らない。

「ゲンジはコントロールが抜群です。見ていて判りませんでしたか?」
「今の時期、球速があるのは大きな武器ですが、それより大事なのはコントロールです」

なるほど、そう言われてみれば四球は一つも出していない。
『打ちやすいボール』ばかり投げていた。という感じもしなくはない。

監督が、「四球で自滅するよりも、打たれたほうがいいんですよ。」
「後はこれから少しづつ、スピードをつけていけばいいんです。」

前途多難かな? と思っていたが、監督よりそのように言われると、
なんとなく安心。今後の課題も見えたし有意義な練習だった。

ところが当のゲンジは・・
「僕、やっぱピッチャーは無理かなぁ?」

続きは後日。

2005年08月10日

新たなスタート

前回の続きです。

2002年10月

翌年への構想として、ピッチャーとショートへの転向を言われた息子ゲンジ。
これまで慣れ親しんでできた外野とは、動きも違う。

必然的に毎日の自宅練習メニューは、この2つのポジション関連に重点を置く。
小学生の場合は変化球は禁止なので、強化ポイントは
コントロールとスピードになる。

ところがこの2つは相反するポイントだと言えなくもない。
コントロールを意識すればスピードが落ち、スピードを意識すれば制球が落ちる。
これをいかに高い次元でまとめるか?

二兎を追うのはダメだと思い、最初に優先させたのはコントロール。
それ以前に、まずフォームを固める事から始めた。

翌年は6年生だけでAチームを編成。
この時4年生のゲンジは、Bチームのエース候補。
従ってプレートからホームまでの距離は15メートルとなる。

この時は10月で夕方は日暮れが早く、実際に外で球を受ける事は出来ない。
そこで夕方はシャドーピッチングをし、早朝に外で投球練習をする。
1日30球を毎日続けた。最初は思うようにストライクが入らない。

そこで距離を短くして13メートルから始める。
だんだん慣れてくると少しづつ距離を延ばしていった。
コントロールは次第についてきたが、球威がどうしても見劣りがち。

まだ時間はあるので慌てはしなかったが、なんとなく気掛かり・・
ドラ夫もこの練習のためにキャッチャーミットを購入し、気合を入れた。

練習を繰り返したとはいえ、バッターがいない状態での練習。
実戦形式はまだ先の事だと思っていた。

そしてチーム練習の日。紅白戦をする事になり、ゲンジに登板指令が。

「打たれてもいいから投げてごらん」 と監督の声。

しかしドラ夫は早すぎると思い、監督に一言。
「すみません、まだ投げる練習ばかりでして、プレートさばきや牽制のやり方を教えていません・・」

続きは後日。

2005年08月02日

投手への挑戦始まる

前回の続きです。

2002年10月

色々と騒動のあった大会も終えて、秋も深まりつつあった2002年10月。
この時、息子ゲンジは5番センターの位置を磐石なものとしていた。
試合でもヒットを量産。出塁率も上昇し、半年前の不振が嘘のよう。

それに前年の事を思えば、まさかここまで進歩するとは思わなかった。
5年生が主力の中、4年生でこの位置を確保出来たのは嬉しい誤算。

チームの首脳も自然と翌年の構想を描き始める。
「来年はゲンジにピッチャーをやらせたい」
と監督より打診があり、嬉しい気持ちと不安な気持ちが交錯した。

やはり投手というのは特別なポジションだと思う。
自分の子がマウンドに上がると思うと、嬉しいのは当然かもしれない。
だが登板するなら、それなりの技量と度胸が必要。

ゲンジにその特性があるか? そんなポジションが務まるのか?
悪い方に考えればキリが無いが、いい加減な気持ちではチームに迷惑をかける。

自宅での個人練習でもピッチング練習は一応、取り入れてはいた。
だが本格的に始めるとなると、取り組みも改める必要がある。
それより本人にやる気があるか? これが先決だ。

ところがゲンジは意外にもすんなりとOK。
ピッチャーへの関心を自分なりに持っていたよう。
レギュラー奪取という目標は達成した。次の目標は「エース」を目指して練習あるのみ!

苦手だったバッティングを克服したように、今度はピッチングを一人前にしたい。
しかし素人の自分には荷が重いのも事実。
多くの書籍を買い込み、夢中で読みふける。

後はチーム練習で貰ったアドバイスを基に、基本を入念にチェック。
翌年のシーズンインまでにはまだ時間がある。慌てる事もない。
既に外野守備には一定の目途はついていたし、
守備練習には多く時間をとる必要は無いと思っていた。

監督の構想は取り敢えず、投手を二人育成する事。
3人目以降は様子を見ながら進める予定。
二人の候補のうち、一人に選ばれたのは光栄な事だ。

だが監督は別の構想も持っていた。
『取り敢えず、この二人でピッチャーとショートを回していきます。』
「どういう事ですか?」 とドラ夫。

『ようするに片方が投げる時は、片方がショートを守るんです。』

「内野への転向もですか? こりゃ忙しくなりそうですね・・」

投手練習に専念出来ると思っていたら、ショートも守る事になるとは。
慣れ親しんだ外野を離れるのも惜しい気がしたし、なによりゲンジが
そこまで器用に投手とショートをこなせるか?

一気に不安が増幅してしまった・・

続きは後日。

2005年07月25日

後味の悪さ

前回の続きです。

2002年9月

全ての選手を起用した監督の采配。
その代償として、大きな大会の初戦を落とした。
勝てる内容だっただけに、その采配には賛否が別れた。

当然ながらスタメン候補の保護者は否定派。
ベストの布陣で戦い続けていれば? という思いを捨てきれない様子。

一方、控え組の保護者は容認派。
日頃重要な公式戦では出場機会が少ない子に、経験を踏ませた事を評価。
それぞれの立場で都合の良い解釈かもしれない。

ドラ夫親子は初回で交代させられた立場だから、心情的には否定派かもしれない。
けれど、この時の采配の意味には一定の理解はしていたつもりだ。
実際、控えの選手は良い経験になったと思う。

息子ゲンジも最初の頃は控え組だった。その頃なら完全に容認派だったろう。
現場を預かる監督の方針には従うしかない。
ところがこの時は周囲の不満が立ち込めた。

不満というより、保護者同士の派閥争いの様相。
試合後Aチームの試合開始に合わせて、その応援に行く手はずだったのだが、
一部の父兄がそれを遠回しに拒否。子供を連れて帰ると言い出した・・

更にこの日は、夕方から子供同伴での慰労会が予定されていたのだが、
それにも一部の父兄が参加辞退をちらつかせた。

当の子供達は何のしがらみも無いのに、親の都合でこうした事態になるのは
困ったものだし、それ位に今回の一件は後味が悪かった。

一方監督は、さばさばした表情。思い通りの采配だったのかもしれない。
ドラ夫はベンチに入っていたコーチと立ち話。
それとなく、今回の起用についての話を聞いてみた。

すると予想とは違った展開に驚く。そのコーチが言うには、

『監督は当初、勝ちに拘るつもりでいた。ところが昨日、「5年生中心で戦いましょう」と一部の父兄から言われた事で方針を変えた。』

『チームの勝利よりも、自分の子だけしか見えない親に、監督なりの答えが今日の起用・采配なんだよ。俺達には試合前、こうした采配で行く。という話はあったよ。』


これを聞いたドラ夫はなんだかスッキリした気分になった。
あまりに指導者がスカタンの場合なら、周囲が口出しするのも有りだが、
そうでない時に、むやみに現場へ口出しされるのは、監督にもプライドがあるのだろう。

現場がやり易い環境を作るのが裏方さんの役目だが、裏方が出過ぎると
こうした事態を招くという好例かもしれない。

幸い、この件は大きな騒動にまでは到らなかった。
この時A・Bに分かれている現5年生が、翌年は一つのチームになる。
ゲンジを含めた4年生以下は、改めてBチームを編成してシーズンに入る。

保護者達もこうした事を視野に入れていたから、
後少しの辛抱だと割り切ったのかもしれない。

この時は残りシーズンも後わずか。6年生が卒団すれば、次年度は新体制。
監督・コーチも自然に翌年への構想が出始めていた。

試合会場を後にする時、監督が歩み寄って一言。
『来年はゲンジにピッチャーをやらせたい。』

続きは後日。

2005年07月14日

全員野球

前回の続きです。

2002年9月

初回の攻防を終え、2回の守備につこうとした息子ゲンジ。
その時、監督が選手交代を告げた。代わりに5年生の子がセンターに入る。
不可解な選手交代にドラ夫も一瞬、何の事か理解出来なかった。

初回の守りでは難しいセンターフライを好捕。
打撃でも凡退とはいえ、良い当たりのピッチャーライナー。
代えられる要素は見当たらない。

当のゲンジはサバサバした表情。本心は伺い知れないが、
野球では表情を顔に出さないのはいつもの事。

この試合、監督がどのような方針で挑んだのか、ゲームの進行で明らかになる。
2回の攻撃。この回先頭の1番バッターに代打を起用。
またまた驚きの采配だ。この子は初回にヒットを放っている。

その裏の守り、今度はレフトを交代。
どうやら監督はこの試合、勝敗に拘らず、一部の3年生を除いて全ての選手を起用する腹のよう。

この大会はお祭りのような大会で、参加チームが多い関係上いつもとは違う大会規定があった。
その一つが、「低学年の部は65分を過ぎたら、新しいイニングに入らない」という規定。

この規定の為に、早いイニングからの選手交代だった模様。

試合は初回の3点に加えて追加点をとり、有利な展開。
しかし残り時間が気になりだした頃、守備にほころびが出始める。
この時点でスタメンメンバーのうち、5人がベンチに退いている。

必然的にこのイニングの守りは、ベストメンバーではない。
選手の足並みも乱れはじめ、徐々に追い上げを許してしまう。
守備を固めるにも駒は使い果たしている。

ついに逆転を許してしまった。その裏の最後の攻撃。
しかし簡単に3者凡退でゲームセット。
普通の選手起用なら、勝てる試合展開だった。

しかし監督の采配は試合の勝ち負けより、多くの選手に大きな舞台を踏ませるのを
優先させた。これが収穫といえば収穫かもしれないが。
ドラ夫もこの采配には一定の理解を示した。
勿論、勝って次の試合に挑みたい気持ちも当然あったが・・

しかし他の保護者の多くは初戦敗退が納得出来ないよう。
一部の父兄が声高に采配の疑問を口に出し始める。

周りに不穏な空気が立ちこめてしまった。

続きは後日。

2005年07月07日

途中交代

前回の続きです。

2002年9月

地元で一番大きな大会を控えた頃、5年生の役員が
5年生主体の起用を監督に促した。

この大会は一種のお祭りのような大会。
小学生の部が高学年の部と5年生以下の部。それに中学生の部とに分かれ、
全部を会わせると100チーム位がエントリーする。

地元マスコミも大きく取り上げ、協賛企業も多い。
上部大会に繋がる訳ではないが、「この大会が目標」 というチームも結構ある。

そうした背景からか、是が非でも我が子を出場させたい! という親心から、
役員が監督に進言したという推測が成り立つ。
しかし4年生の保護者であるドラ夫の前で、そうした発言をするのは大胆だ。
暗にこちらへ同意を求めていると思えなくもない。

それ位、ここ最近のゲンジの活躍に別の意味での危機感があったのかもしれないが・・

この時監督は苦笑いを浮かべ、「メンバーは当日の試合前に発表します。」
とだけ答えて明言を避けた。
子供の野球なのに、こんな事で親の駆け引きがあるのも変な話だと思うのだが。

大会当日。
絢爛豪華な開会式を終えて、各チームは試合会場へ移動。
当チームはクジ運に恵まれて、すぐ隣のグランドで試合。

オーダー発表が監督の口から伝えられる。
多くの保護者も応援でベンチ近くに陣取っていた。
1番から8番までスタメン発表。ここまでの布陣は全て5年生。

「やはり監督も圧力に負けたか・・」 と思っていたが最後に
『9番センター ゲンジ』 の声が。

なんとかスタメンの栄誉は勝ち取った。9番という打順が5年生保護者への
せめてもの気遣い。と思いたくもないが・・

なにはともあれ気持ちも落ち着いた。スタメン落ちした数人の保護者の顔が
気になるも、後は試合で結果を出すだけ。
チームは後攻で試合開始。

初回、センターへ難しい打球が飛んだがゲンジのファインプレーが出てアウト。
そしてその裏の最初の攻撃。相手の立ち上がりを攻めて3点を先制。
尚もチャンスが続いて、2アウト満塁でゲンジの打席。

ラストバッターながら、初回に早くも打席が巡ってきた。
ここで1本出ればかなり楽な展開になる。
2球目を叩いた当たりは痛烈なライナーでピッチャーを強襲!

抜けていればセンター前だったが、ピッチャーはグラブで打球になんとか触れた。
ボールはこぼれたが、ピッチャーの目の前に落ちた。
落ち着いて1塁へ転送。3者残塁でチェンジ。

惜しい当たりで残念! 応援団からも溜息が漏れる。
ゲンジも悔しそうな顔でベンチに戻り、ヘルメットを脱ぎグラブを持って
センターの守備につこうとしたが、背後から監督の声が。

「ゲンジ! 交代!」

続きは後日。

2005年06月30日

レギュラー定着への足固め

前回の続きです。

2002年9月

騒動に巻き込まれた形で、不可解なスタメン落ちの憂き目にあった息子ゲンジ。
意地の代打ホームランを放って周囲の度肝を抜いた。

練習と試合で結果を出し続け、ようやく周りもその実力を認めてくれるようになる。
この時 入団から1年半。最初の状況を思うと、よくここまで来たものだと感慨深い。

最初は試合に出る事が目標だった。その目標を達成するのに5ヶ月かかった。
次の目標は初ヒット。これを成し遂げるのに初出場から1年かかった。
達成までにかかった時間は長かったかもしれない。
いや、実際に長かった。 途中で挫折しかけた事もあった。

これらの目標をいとも簡単に達成する子も多いと思う。
その点、私達親子は時間がかかりすぎたかもしれない。
野球に素人の父。決してセンスがあったとは思えない息子。

こんな組合せの親子でも、テーマを決めた自宅練習の繰り返しで
なんとかここまでたどり着いた。息子ゲンジに「やれば出来る」 
という事を体験させられただけでも、野球を続けさせて良かったとこの時思った。

この時の次の目標は「レギュラー定着」だ。最終目標と言っていいかもしれない。
現実に後少しの所まで来ている。その足固めの段階だった。

こんな感じの2002年9月。
地域で一番大きな大会が行われる。ローカルの大会だが参加チームが多く、
上部大会に繋がる大会ではないが、当地では一番ステイタスのある大会だ。
5年生以下部門でエントリーし、Aチームとアベック出場となる。

そんな格式の大会だけに、選手も親もいつもとは違う意味で熱がおびる。
大会前の練習も激しさを増し、皆も気合が入っていた。

大会前の最終練習が終わった後、Bチームの役員が監督に言った。

「○○大会は華のある大会ですから、Bチームは5年生優先で戦いましょう。」

続きは後日。

2005年06月23日

意地の一発

前回の続きです。

2002年8月

一部の父兄から沸き起こった選手起用への不満問題。
一連のゴタゴタから、5年生の一人が退部。
息子ゲンジを始めとする、4年生選手の起用が騒動の発端だった。

現場を預かる指導者側と保護者達の間には、考え方に多少の違いがあるのも仕方ない。
誰でも自分の子を中心に見てしまうのも判る気もするし、
皆の全てが納得するような運営はかなり難しくもある。

だが今回の場合、公平な目で見ても保護者側のわがままな要求が原因だ。
この時の監督は、出来うる限りの選手起用を推進していたお方だ。
チームによっては、出場選手は完全に固定で、控えの子にチャンスを
全く与えない監督もいるだろう。 

こうした状況なら、不満が出るのは当然であり、それなりの行動を起こすのも理解出来る。

しかしこの時のうちの状況はそうではない。
あくまでレギュラーに拘る親の一部の反乱だ。

子供達とは関係のない部分で、こうした問題が出るのは、
なんともやりきれない思いだ。監督もさぞや心を痛めたと思う。
そうした圧力に屈した訳ではないとは思うが、次の試合でゲンジはスタメンを外れる。

ドラ夫はこれまで、ゲンジには練習で上手になって試合で結果を出していれば、
必ずレギュラーは獲れる! と激励しながら個人練習に取り組んできた。
しかし今回は、前試合での大活躍にも関わらずスタメン落ちの憂き目に遭う。

これについて、ゲンジにはどのように説明したらよいのか・・
純粋な子供に大人の世界の話をする訳にも行かない。
当の本人も、自分が何故外れたのか理解出来ていない様子。

試合はトントン拍子に進んだ。4対4で迎えた5回の表。
時間が過ぎていたので最後の攻撃だ。
監督は先頭バッターに代えてゲンジを代打に起用。

「悔しさの鬱憤をこの打席で晴らせ!」 とドラ夫もつぶやく。

初球を叩いた打球は快音と共にライトの頭上を大きく越えた!

余裕のランニングホームラン。まさしく意地の一発だった。
ホームインしたゲンジに監督も喜びを爆発。こんな表情の監督は初めて見る。

「スタメンを決める時、苦渋の選択があった。一際ゲンジのホームランが嬉しかった。」
この言葉は、この時から数ヶ月後に聞いた監督の言葉である。

続きは後日。

2005年06月16日

周囲の雑音

前回の続きです。

2002年8月

入団から1年半以上に渡っての「ノーヒット」のトンネルを抜けた息子ゲンジ。
しかも2試合で3本塁打を含む、7打数7安打のオマケ付き。

紆余屈折を経て、ようやく結果を伴う事が出来た。
何もせずに出した結果ではなく、夕方の自宅練習があったればこその結果だと思う。
それに費やした苦労も報われた感があったが、まだ2試合で活躍しただけ。

この結果がマグレと思われないためにも、気持ちを緩めないよう、気を引き締める。
ゲンジも自分なりに自信を持ったようで、表情も明るく練習意欲も向上した。
「頑張れば出来る!」 という事が判ったようで、これが教育的観点から見ても
一番の収穫だった。

親子で次の目標に向かって進みだした2002年8月。
それに水を差すような話が耳に入る・・

5年生の保護者数人が、選手起用を巡って不穏な動きを見せはじめた。
5年主体の選手起用を唱えて水面下で根回しをし、賛同者を募るような動きだ。

この時の監督は色んな選手にチャンスを与えるやり方。
絶対的不動のレギュラーは5人程で、残りは毎回メンバーが違う。
入ったばかりの3年生は別にして、残った4・5年生が残りのポジションを争う形。

今回タマタマ4年生のゲンジが結果を出した事に危機を感じたのか、
なんともやりきれない気持ちだ。
それには、ゲンジの5番起用の件も不満らしく、親バカ丸出しの実に情けない
感情も入っている。

こちらとしては、あれだけの結果を残して文句を言われてはたまらない。
選手同士が競い合い、互いに向上していくのが理想なのに、
親のエゴもここまでくると尋常ではない。

しかも試合に全く出れないのならともかく、場合によってはそれらの子が
スタメンの時もあるし、ベンチスタートの時も途中出場があるのだ。
ただ単に、「スタメンでなければ不満」 という考えはいかがなものか?

それらの子も前年まではゲンジよりはるかに実力は勝っていた。
それが何故、その差が縮まったのか? 前述の親達はそれが判っていない。
やる事をやらないで、不平を言うのは見苦しい。

ドラ夫もたった一度の活躍で、ゲンジがスタメン確保とは思っていない。
これを足掛かりにして結果を出し続ければ、元々守備は及第点だから、
スタメン定着に一歩近づくとは思っていたが。

この一連の騒動で、一人の5年生が退団した・・
レフトのポジションを争っていた子で、親が強制的に辞めさせた形。
これにはチームにも衝撃が走った。

そして次の試合。スタメン発表にゲンジの名前は無かった。

続きは後日。




2005年06月09日

7打数7安打

前回の続きです。

2002年7月
 
3打席連続本塁打という離れ業をやってのけた息子ゲンジ。
チームも勝利し、これ以上の喜びはない。
 
続く試合は他のチーム同士の為に、一旦ベンチを空けて外に出る。
監督を中心に試合後の反省会。快心のゲーム運びに監督も饒舌。
選手もニコニコしながら聞いている。
 
ゲンジは意外にも冷静な表情。野球ではあまり喜怒哀楽を顔に出さない。
軽く昼食を摂り、次の試合に備える。
ドラ夫は敢えてこの待ち時間に、ゲンジと接触するのを避けた。
良い流れのまま、自然体で2試合目に望ませたいと思ったからだ。
 
後から聞いた話だが、当初の予定ではゲンジの2試合目はベンチスタート。
選手の実力が拮抗しており、交流戦という事もあって4・5年生は
全て起用するつもりだったらしい。
 
ところが3本塁打の選手を外す訳にもいかなくなり、急遽2試合目も
5番センターで先発となった。
 
次の相手も姉妹都市のチームだが、最初のチームとは別チーム。
この試合は乱打戦になった。
 
結果は9対8で勝利。ゲンジの成績は、
1打席目 センターオーバー 2ベース
2打席目 レフト前 シングル
3打席目 センター前 シングル
4打席目 三遊間をゴロで破るシングル
 
2試合合計で 7打数7安打の大当たり!
今までの鬱憤を完全に晴らしてくれた。

この日の活躍で、レギュラー定着の足掛かりを掴んだかに見えたが、
それを確固たる物にするのは、まだ先の事になる。
 
続きは後日。

2005年06月05日

3打席連続ホームラン

前回の続きです。

2002年7月
 
交流試合で5番スタメンの息子ゲンジ。
記念すべき初ヒットを満塁ホームランで飾った。
 
満面の笑みでホームインし、ベンチの皆からモミクチャにされる。
結果論だが、監督の起用が的中した。ドラ夫も他の保護者達から祝福を受ける。
しかし試合はまだ始まったばかり。いつまでも余韻に浸ってはいられない。
 
初回に4点先制したが、その裏に1点を返される。
 
3回、2アウトランナー無しでゲンジの第2打席。
この回2球で2アウト。打席に向かうゲンジに監督は、
「じっくり行け!」 と指示を出す。
 
だが初球・2球目とストライクを見逃し追い込まれた。
言われた事を律儀に守ったのか、この辺りは悩ましいというか難しい・・
 
そして3球目。相手バッテリーは遊ばず一気に決めにきた。
しかしゲンジはそれを完璧に弾き返した!
 
打球は右中間を深く破る。サードコーチはグルグルと手を回した!
滑り込む事なくホームイン。またもやホームランだ!
 
これには皆が度肝を抜かれた。大騒ぎのベンチと応援団。
我が子の予想外の活躍に、ドラ夫も夢を見ている心地。
 
試合は進んで5対2とリードでゲンジの第3打席。
ランナー無しの場面だ。相手ベンチは外野に深めの守備を指示。
 
この打席は初球を叩く! 低い弾道のライナーは深めのセンターの頭上を越えた。
ゴロ足は速く、ボールは転々と奥深くへ。
余裕のホームインで3打席連続ホームラン。
 
その裏の相手の攻撃を1点に抑え、6対3で勝利!
ゲンジの全打点を叩き出す活躍でチームは勝利。
今までの鬱憤を晴らす活躍ぶりにドラ夫も大満足。
 
しかしこれだけでは納まらず、続く2試合目でもゲンジの勢いは続いた。
 
続きは後日。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。