2009年02月27日

涙の3塁打

過去を振り返る 『今だから言えること・・』

第6話 涙の3塁打



ゲンジが中学3年の6月だった時の話です。

最後の大一番、部活の中体連を1週間後に控えてた。
3年生のB君はレフトのレギュラー。

中学に入ってから野球を始めた子でした。
入学当初は少年野球経験組と比較すると、色んな面で見劣りしていた。

しかし2年生になると少しづつ上達してゆき、
有望な下級生達とレギュラーの座を争うまでに成長する。

そして2年生の新人戦ではついに一桁の背番号をゲットした。
打率は正直低かったです ^_^; 三振の数も多い。。。

しかしB君は【意外性の男】 でした。
三振か長打か? という感じでしょうか。
監督はこのB君を主に6番・レフトで起用していました。

しかし・・ B君は中体連の数日前に、走塁練習で足を故障してしまう・・
松葉杖の世話にならないと歩けない有様・・
当然ながら中体連は絶望視されました。

初戦は優勝候補を完璧な内容で撃破。番狂わせを演じた。
これにより、第2戦は一週間後となった。

B君は猛烈に出場を直訴しました。
しかし足の状態は完璧ではありませんでした。

3年生ですし、最後の大会。出したい気持ちは私もありました。
けれど、次の試合は上部大会進出が懸かった大一番。
絶対に勝ちたい試合。そこに温情でB君を起用する余裕はありませんでした。

2戦目。 リードされたまま最終回の2アウト。
顧問は代打にB君を起用。しかし三振でゲームセット。
B君は1打席で中体連を終えた。

ゲンジをはじめ、多くの3年生はこの敗戦後は硬式スクールに移籍した。
だがB君はそのまま軟式のクラブチームに残りました。
秋にある、大規模ローカル大会に照準を合わせたのです。

この大会は3年生にも出場資格がある。
私は複雑な気持ちでした・・・

B君はこの時、高校野球志望でした。
それなら軟式は一旦止めて、硬式に移ったほうが少しは有利。
そもそも硬式スクールは、高校へのステップとして出来たもの。

また軟式クラブも、本音は1・2年生の新チームで挑みたいのが本音だったと思う。
そこに3年生が加わるのは、何かと不都合も生じる。

私はこれらの事をB君に話ました。
しかしB君の返答は・・

『中体連の前に怪我をしたのが悔しい・・』
『その鬱憤を今度の大会で晴らしたい』

そうと決まれば、もうB君を応援するしかない。
硬式スクールに勧誘するのは諦め、
また軟式クラブの新監督にも、私からB君の事をお願いした。

監督は快く引き受けてくれました。

2ヶ月後・・

B君は3年生唯一、大規模大会に登録。
初戦はレフトのスタメンで出場でしたが・・
攻守ともに冴えず、見せ場を作る事が出来ませんでした。

2回戦は辛うじてスタメンになるも、打順は9番。
唯一の3年生で9番。もう後がありません。

最初の打席は凡退・・ そして2打席目。
ここで凡退なら、次のイニングから交代も予想された。
場面はランナー 1・2塁。

中体連の無念は皆が知っている。スタンドの父兄達も大声援を送った!
私も心の中で祈り続けました。

初球、バットが一閃した! レフトポール際へグングン伸びる!
ライナーの打球はワンバンでフェンスへ!
2者が生還。タイムリー3塁打でした。

3塁のベース上で雄叫びをあげるB・・・ そしてガッツポーズ。
見事でした。怨念を自分の手で取り除きました。

彼は泣いていました。彼の母も泣いてました。
勿論、私も泣きました・・・・・

そのB君。今も高校の野球部に在籍しています。
レギュラー目指して頑張っているようです^^



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