2009年02月19日

復活したエース

過去を振り返る 『今だから言えること・・』

第5話 復活したエース



中学軟式の時のエース君の話です。

彼をA君とします。
A君は小学校4年生から野球を始めました。

当時から身長が高く、遠投や短距離走も群を抜いていました。
彼が6年生になった時、自分からピッチャーをやりたいと言いました。

前年の5年生の時は、うちのゲンジが投手候補としてマウンドに上がっていた。
いってみれば、それと入れ替わるような形ですね。

球のスピードも速く、周囲も期待していました。
日頃は明るい性格で、挨拶もしっかり出来る子です。

ただ父親がコーチとして指導者の一角に入っていたのですが、
この父親には反抗心というか、まぁこれはどこの子でも有ると思います (^_^;)

中学に入っても、次期エース候補として育成する方針。
この子の球を受けるために、ゲンジがキャッチャーに指名されたようなものです。

1年の夏から登板の機会を与えられていました。

2年生の夏からは背番号1番を与えられた。
だがその頃、ちょっと伸び悩みを感じていました。

球のスピードが「打ち頃」になってしまったんです。
小学生の頃は速かったのですが、そこからの伸びしろが少なかった。

2年夏の公式戦で、つるべ打ちを喰らってしまいました。
試合後、小言を言った父親に対し暴言を吐いてしまう・・

それを見ていた監督、次の試合から背番号1を剥奪しました。

『技術面でもそうですが、まずは精神面でも進歩しないと、とても1番を付けさせる事は出来ない。』
と私にはこう言われました。

そして迎えた部活の新人戦。その舞台で彼はマウンドに立つ事は出来なかった。
1年生の投手に任せたのですが、結果はコールド負け。

私も見ていて歯痒かったです。
大事な新人戦にエースが投げさせてもらえない・・

以降の練習試合でも、監督は徹底してA君に登板の機会を与えませんでした。
1日3試合のトリプルヘッダーでも投げさせてもらえない・・

A君もかなり堪えたと思います。ひょっとしたら辞めていたかもしれないですね。

それから一ヶ月後の交流戦。1年生投手が試合中に怪我をするアクシデント。
監督はリリーフにA君を指名しました。

スコアラーとしてベンチ入りしていた私、A君に激を飛ばしました。
だが結果は無残・・ 連打の末に最後は柵越え本塁打を浴びた・・

『Aのピッチャーは終わったな・・』 横で監督がこうつぶやきました。

つい1年前はかなりの期待を背負っていたのに・・
私は心に誓いました。A君を必ず再生させると。

私はA君用に練習プログラムを作りました。
『お前、このままで終わるつもりか?』 と問いかけますと、
本人はハッキリした声で 『終わりません!』

『だったらこのメニューを毎日必ず実行しろ。』
内容は割愛しますが、私なりに見た彼の弱点修正がメイン。
後はどこまで彼が真剣に行動するか?・・


冬が終わって3年生の4月上旬。最初の練習試合が組まれた。
この日は部活の試合。2試合の予定。

顧問が私のところに歩み寄る・・
『1試合目、Aで行きますか?』

『新年度最初の試合。3年生のAで行きましょう』 私は言った。

そしてAを呼んで言いました。
『冬の成果を見せてみろ。勝敗は問わない。あくまで内容だぞ。気負うなよ。キレるなよ。精神面での成長も必要なんだからな。』

試合は1対2で負けました。でもA君の投球内容はとても良かった。
試合後、私はA君に抱きついて褒めてやりました。
A君はボロボロと泣いてました・・・

負けましたが、自分なりに手応えを感じたのでしょう。
1週間後、横浜への道となる全日本選手権の予選。
マウンドには背番号1を付けたA君が立っていました。

以降、中体連まで彼は1番を背負い続けました。
見事な復活を成し遂げました。