2006年03月17日

祖母の思い出


母方の祖母が本日の未明に逝去しました。

明治生まれで、後少しで100歳だったのですが・・

子供8人。孫が15人。曾孫は多数。そして昨年は玄孫(やしゃご)の顔を見る事も出来ました。

大往生だったと思います。

私事をここで書くのはどうか? と思いましたが、
祖母には「勝負」の面で励まされた事があり、
これは野球にも通じるものがあると思いますので、敢えてエントリーしました。


私は一人っ子のため、母の在所(名古屋)へ行くのがとても楽しみでした。
祖父母はそんな私をとても可愛がってくれ、外孫では一番のお気に入り。

前述のように祖母は明治生まれ。
11歳で奉公に出され、16歳で結婚。17歳で第1子を出産。
それ故に学校で学ぶ事はなく、祖母は文盲で漢字の読み書きが出来ません。

厳しい時代を生き抜いた人らしく、幼少の頃の私は
祖母の話す「格言と諺(ことわざ)」 が子守唄代わりでした。


私が学生時代、格闘技の選手だった事は以前書きました。
両親は仕事の都合により、私の試合には一度も応援に来た事はありません。
そんな私を不憫に思ったのか、祖母が一度だけ応援に駆けつけてくれました。

大事な大会だったのですが、伯父に連れられて来てくれたのです。
その大会は順調に勝ち進み、団体戦の決勝に進出。
私は相当なプレッシャーの見舞われていました。

その時に祖母がわざわざ近くまで来てくれて、人目をはばからずこう言いました。

「ええか、身体の余計な力は抜いてもええが、
金玉の力だけは抜いたらアカンよ!」


ちょっと下品な言い回しで恐縮ですが、祖母のこの言葉に
私は重圧から解放されたのと同時に、猛烈な戦闘意欲が湧き上がりました。

選手を励ます言葉は沢山あるでしょうが、こうした言葉もあるんですね。
また祖母が言った事だからこそ、私も素直に受け入れられたのだと思います。

結果は優勝。祖母の言葉が無かったらどうだったか?
違った結果になっていたかもしれませんね。

今は私が遠方に在住の為、頻繁に行き来する事は減りました。

近年の祖母は歳のせいか、曾孫の名前と顔が一致しません。
ですからゲンジの事も「その他大勢」 でした。

なんとかゲンジが大きな舞台に立ち、
「あれがドラ夫の長男」 と覚えてもらえるのを望んでいたのですが、
それももう叶わない事になりました。

私達親子の行く末、天国から見守ってほしいものです。



posted by ドラ夫 at 23:16| Comment(35) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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