前回の続きです。
2002年11月
秋も深まり、4年生の少年野球生活も残りわずか。
翌年の投手候補として、「スピードアップ」を目標に定める。
週末のチーム練習では、途中から別メニューになり
ピッチング練習を行う。投球だけではなく、
牽制球の投げ方や、ボークに関する知識、プレートさばき等も教わる。
少しづつサマになってきたが、マウンド度胸は実戦の積み重ねで慣れるしかない。
まだ翌年の開幕までに時間はある。だが、ドラ夫は少々の焦りがあった。
ゲンジがここまで、それなりの成績を出したのは、ひとえに個人練習の賜物だろう。
素質のある選手ならまだしも、センスがあるとは言えないゲンジが、
週末の2日だけの全体練習だけでは、とてもここまでは辿り着けないと思う。
これまでは主に打撃強化に取り組んできた。それには一定の目星がつき、
今度は投手が目標。当然、これ以降も個人練習は続けるのだが、
問題はその練習方法だった。
この時は晩秋とも言える時期。夕方の日暮れは早く、外で練習は出来ない。
こちらとしては平日の個人練習で、毎日40球程度を実際に投げさせたいのが本音。
そのつもりでキャッチャーミットも購入したが、夕方がダメとなると早朝しかない。
ところが当地は冬の訪れが早く、この時期の朝の冷え込みも厳しい。
自分も仕事を持っているし、なにより妻が朝練は反対の姿勢。
となると、平日は実際にはボールを投げれない。
チームも毎年、12月と1月は活動休止。2月から始動になるが、
そんな頃は外は雪だらけ。実際にグランドを使えるのは3月中旬以降になる。
そう考えると時間があると言っても、実際にビシバシと投げ込みが出来る期間は
ほとんど無い事になる。
投げ込みだけが練習ではない。それは判っている。
しかしこの頃のドラ夫は、そうした気分にはなれなかった。
先日の紅白戦で打ち込まれた姿が、頭に焼き付いている。
春にはなんとしても、一定の成果を出させてあげたい。
そんな思い込みが日増しに強くなり、自分でプレッシャーを抱え込んでいた。
当のゲンジはまるでリラックス。
というか、あまり真剣にそこまでは考えてはいない様子。
親子で捉え方にギャップが生じていた。
続きは後日。
2002年11月
秋も深まり、4年生の少年野球生活も残りわずか。
翌年の投手候補として、「スピードアップ」を目標に定める。
週末のチーム練習では、途中から別メニューになり
ピッチング練習を行う。投球だけではなく、
牽制球の投げ方や、ボークに関する知識、プレートさばき等も教わる。
少しづつサマになってきたが、マウンド度胸は実戦の積み重ねで慣れるしかない。
まだ翌年の開幕までに時間はある。だが、ドラ夫は少々の焦りがあった。
ゲンジがここまで、それなりの成績を出したのは、ひとえに個人練習の賜物だろう。
素質のある選手ならまだしも、センスがあるとは言えないゲンジが、
週末の2日だけの全体練習だけでは、とてもここまでは辿り着けないと思う。
これまでは主に打撃強化に取り組んできた。それには一定の目星がつき、
今度は投手が目標。当然、これ以降も個人練習は続けるのだが、
問題はその練習方法だった。
この時は晩秋とも言える時期。夕方の日暮れは早く、外で練習は出来ない。
こちらとしては平日の個人練習で、毎日40球程度を実際に投げさせたいのが本音。
そのつもりでキャッチャーミットも購入したが、夕方がダメとなると早朝しかない。
ところが当地は冬の訪れが早く、この時期の朝の冷え込みも厳しい。
自分も仕事を持っているし、なにより妻が朝練は反対の姿勢。
となると、平日は実際にはボールを投げれない。
チームも毎年、12月と1月は活動休止。2月から始動になるが、
そんな頃は外は雪だらけ。実際にグランドを使えるのは3月中旬以降になる。
そう考えると時間があると言っても、実際にビシバシと投げ込みが出来る期間は
ほとんど無い事になる。
投げ込みだけが練習ではない。それは判っている。
しかしこの頃のドラ夫は、そうした気分にはなれなかった。
先日の紅白戦で打ち込まれた姿が、頭に焼き付いている。
春にはなんとしても、一定の成果を出させてあげたい。
そんな思い込みが日増しに強くなり、自分でプレッシャーを抱え込んでいた。
当のゲンジはまるでリラックス。
というか、あまり真剣にそこまでは考えてはいない様子。
親子で捉え方にギャップが生じていた。
続きは後日。