2005年04月30日

礼儀作法

昨日の試合で感じた事。

3チームによるリーグ戦で上部大会への代表を決める。
どのチームもベンチに入りきらない大勢の部員がスタンドに陣取る。
 
そこで思ったのが「礼儀作法」だ。
 
対戦相手の子供達は大人が前を通ると、それが誰であろうと、
「おはようございます!」「こんにちは!」「失礼します!」
と元気に挨拶をする。
 
簡単そうに思えて、なかなか出来ない事かもしれない。
ドラ夫はいたく感心してしまった。
 
うちのチームはどうか?
 
彼等に比べると70点位かな? 挨拶は出来ている部類に入ると思うが、
まだ恥ずかしさがあるのか、元気の部分では負けている。
 
野球という競技力を高める努力も大切だが、クラブを通じて、
こうした礼儀作法を学ぶのも大事かもしれない。
また、そうした事を徹底させている指導者にも敬意を表したい。
posted by ドラ夫 at 22:22| Comment(5) | TrackBack(0) | 技術指導の方針とは? | 更新情報をチェックする

2005年04月29日

なかなか打てない中学野球

今日はクラブチームの試合があった。
上部大会へ続く試合だったが、またしても惜敗。
 
昨年まで4年間、息子の学童野球に付き合っていたから、
中学野球に関わるのは今年が最初になる。
 
やはりというか、野球の質が高くなり点がなかなか入らない。
守備も堅いし、基本に忠実なプレーをしないと勝てないのを改めて実感する。
 
内容は良かっただけに、結果が出なかったのは残念だが
明後日には部活の試合も組まれており、気持ちの切り替えも必要だ。
posted by ドラ夫 at 21:48| Comment(3) | TrackBack(2) | 日記 | 更新情報をチェックする

2005年04月28日

久しぶりの外野

今日は夕方に時間がとれたので、初めて中学の部活を見学に行った。
週末のクラブチームの練習にはいつも顔を出しているが、
部活の野球部はどんな感じなのか?  
 
学校活動なので、親がでしゃばるのも変だと思い、
遠くの目立たない場所から見学する。
 
クラブとは若干メンバーも違うからどんな練習か興味があった。
 
1年生は全員外野に入っていた。
内野への中継プレーに時間をかけている。
ゲンジが外野に入るのは4年生以来だと記憶している。
 
他のブログで時々話題になる「後方フライの捕球」だが、
ゲンジも一発目に見事、目測を誤って捕球出来ない。
内野フライとは感覚が違うのか、久しぶりの外野に戸惑いがあったのかも?
 
しかし2回目以降はまあまあ無難な動き。
 
クラブチームではノックは内野組なので、部活で外野、
自宅練習ではピッチングにキャッチャー練習と、ゲンジもあちこちと忙しい。
 
どこでも順応できるようにしておくのは損はない。
部活の全体練習の感じも、今日の見学で大体掴めた。
クラブと部活の併用だが、今の所は大丈夫みたいですね。

1からのスタート

前回の続きです。

2002年4月
 
新メンバー・新監督で4年生の野球生活が始まった息子ゲンジ
前シーズンの夏以降はそれなりに存在感を示したが、
病によるブランクでの出遅れが気がかり。
加えて個人練習を止めてしまっていたから、技術進歩は停滞か?
 
妻との野球に対する対立から、少年野球から手を引いて一ヶ月半が過ぎた時、
最初の練習試合が組まれた。観戦に行きたいのは山々だが、
手を引いた と宣言したからにはそれも出来ない。
 
そんなドラ夫の心中を察したのか、妻が言った。
「応援に行きたいんでしょ? 行ってこれば?」
 
しかし変な意地を張ってしまい、そうした言葉にも素直になれない。

妻が続けて言う。
「もう意地を張るの止めて。私が悪かったよ。ゴメン・・」
  
こんな感じでしばらく話を続けた。取り敢えずその日は、
ゲンジには見えない遠くの場所から観戦する事になった。
 
その日は2試合の予定。最初の試合はスタメンでレフトを守っていた。
この日はベンチ入り全員を起用する方針なのか、途中でメンバーが
どんどん入れ代わる。
 
入ったばかりの3・4年生も試合に出ていた。これが新監督のやり方なのだろう。
その新メンバーが打席でヒットを打った。
ゲンジは今だノーヒット。1年長く野球をしているが、初安打は早くも先を越される。
 
もう1人の新メンバーもヒット!
 
「このままではマジでヤバイな・・・」
 
強烈な危機感が身体全体に走った。
 
続きは後日。

2005年04月27日

キャッチャー防具について

息子ゲンジがキャッチャーの訓練をしている。
別にポジションが決まった訳ではないが、
「キャッチャーも出来るように」という首脳陣の意向によるもの。
 
古いキャッチャー防具を借り受けて、自宅で練習しているが、
今まではキャッチャーと無縁であったから、こうした防具について
真剣に考えていた事は無かった。
 
防具も一式揃えると結構な金額になる。
どこもチームで用意するのが一般的でしょう。
プロテクター・レガースも赤系統の派手な色もありますね。
このほうが投手から見た場合、目標になりやすく、投げやすいような気もしますがどうでしょう?
 
それと捕手用ヘルメット。 これはドラ夫が少年時代には無かったですね。
キャッチャーは帽子のツバを後ろ向きに被り、その上からマスクでした。
捕手用ヘルメットを最初に広めたのは、昭和57年に優勝した中日の中尾捕手が最初だったかな? 
 
その捕手用ヘルメットも今では着用が義務化。
ゲンジにもマスクだけは専用の物を買ってやろうかな。と思っていたら、
メジャーで流行している、マスクとヘルメットが一体型の「ホッケー型」が頭に浮かんだ。
 
ヤフオクで探したら幾つか出品されていた。
値段はそこそこ張るが、カッコいいのと操作性が良さそうなので食指が動いた。
ところが・・・
 
ホッケー型のマスクは JSBB・軟式野球連盟の公認がとれてないんですね(涙)
練習では使用出来ても、試合に使えないのでは話になりません。
どうして公認しないのかな? リトルリーグでは使用が認められているのに・・
 
ビヨンドマックスのようなバットを公認しておいて、アメリカで主流のマスクを
公認しないのは、なんだか腑に落ちない。
 
かくして、ホッケー型マスク購入は幻に終わってしまいました。

masuku.jpg

posted by ドラ夫 at 22:13| Comment(9) | TrackBack(1) | 野球道具について | 更新情報をチェックする

2005年04月26日

キャッチャー特訓開始

今日から個人練習はキャッチャー特訓に重点を置く。
学童時代を含めて全くの未経験だから、早く順応させたいものだ。
 
チームより借り受けた防具を身に着けて練習開始。
まずは一般的な捕球練習から始める。
ドラ夫が投手役になり、ボールを投げ込む。
時折変化球も交ぜて30球ほど。
 
次はショートバウンドの練習。
5メートル位の至近距離から わざとショートバウンドの球を投げ、
後逸しないよう、身体でボールを止める訓練だ。
3塁にランナーがいる場合、バッテリーミスは即、失点につながる。

ヒット・ホームランで点を取られるのはまだしも、
パスボール・ワイルドピッチ・ボーク・ホームスチール・インターフェア、
牽制悪送球・三振振り逃げ などでの失点は未然に防ぐ事が出来る。
 
そうした点からもキャッチャーの責任は重い。
最後はスローインの練習。盗塁を想定したセカンドへの送球をさせる。
 
ここまでで軽く1時間が過ぎた。1日目にしては無難にこなしていた印象です。
これから少しづつ精度を高めていきたい。
リードや配球、野手への指示など、まだまだやるべき事は多いが、
地道に続けていきたいと思います。
 
ただ投手を始め、他のポジション練習もやらなければならないから、
練習配分には頭が痛いですね。打撃や走塁、筋トレもありますし、
やりたい練習が目白押しなのが悩みのタネです。

2005年04月25日

4年生へ進級

前回の続きです。

2002年4月
 
サッカー・W杯の開催を控え、日本中がサッカー熱に沸いていた2002年に
息子ゲンジは4年生になった。
 
この年のチームもA・Bの2チーム体制。
6年生の人数がギリギリで、5年生の一部をAに引き上げ、
残りの5年生と4年・3年でBチームとなる。
 
ゲンジの同学年も新たに4人が入団。3年生も2人入り、
5年生もこの年から入団した子が2人いた。
昨年までの監督はAチームの担当となり、
Bチームは新しい監督が就任した。
 
メンバー・指導陣共に新しい顔合わせでのスタート。
ポジションも一旦白紙に戻り、適性の見極めが行われた。
 
息子ゲンジは相変わらずのマイペース。
自宅では素振り1つしない有様で、レギュラー獲得の強い意欲は感じられない。
 
妻との意見の喰い違いから、少年野球への関わりを絶ったドラ夫。
もどかしい思いを感じながらも、ゲンジの頑張りに期待を抱く。
 
前年の個人練習から多少の手応えもあったのだが、
いかんせん冬のブランクが長過ぎた。加えて新メンバーの加入に、
監督の交代というのが重なり、練習に顔を出せないドラ夫は
状況を把握する事も出来ない。
 
本音は関わりたいのだが、言い出した手前、それも出来ない。
 
4月の中旬、練習試合が組まれた。
ゲンジはスタメンかベンチか?
 
続きは後日。

2005年04月24日

今年最初の公式戦

当地は今が桜満開。しかし朝は冷え込みが厳しく、水たまりには氷が張った。
 
今日は今年最初の公式戦。
日中は気温も上がりポカポカ陽気。
2試合して共に惜敗だったのが残念だが、次は頑張ってほしい。
 
息子ゲンジは1年生ながらベンチ入りは果たしたものの、
2試合とも出番は無し。今日はじっくり勉強できたはず。
 
昨日打診のあったキャッチャーだが、今日は早速ブルペン捕手を
勤めていた。レガース・プロテクター・マスクを身に付けて、
試合中はリリーフ投手の練習球を受け続けていた。
 
先輩達の速くて重い球質に最初は戸惑いつつも、
次第に慣れた感じで捕球していた。
 
試合後は、お下がりのキャッチャー用具一式を借り受けた。
明日からの個人練習はこの用具を身に付けての訓練開始だ。
昨日は多少、捕手については難色を示していたが、
今日の扱いに本人も腹をくくったかも?
 
2年・3年にも捕手がいるから、ゲンジも試合出場の機会がめぐってきたら
他のポジションの公算が高い。しかし色んなポジションを経験するのも
本人にはタメになると思う。頑張ってほしいものです。
 

2005年04月23日

指導・育成計画

明日はクラブチームの交流大会。
息子ゲンジも正月明けから入団し、3ヶ月が過ぎた。
明日の大会には出番は無いと思うが、中学最初の公式戦をベンチから体験する。
 
全体練習ではどうしても3年生主体になってしまうが、
それも仕方がない。 
 
そんな中、今日は今後の1年生の指導・育成プランを監督より説明を受けた。
これにはドラ夫も感心してしまう。
 
とかく1年生は雑用主体となりがちで、ロクな練習もさせてもらえないチームも
あると聞く。チーム事情もあるのだろうが、いろんな部分で伸びる時期を
無用の過ごすのは勿体無い。
 
主力の3年生をメインに添えつつも、1年後・2年後を見据えた育成計画は
選手にとっても期待の表れでもあるし、有り難い事だ。
実際、今のチームは打撃やノックも全員が同じ量をこなしている。
 
実戦練習のみ、レギュラー組がメインとなるが、それ以外は基本的には同じだ。
 
息子ゲンジも今はファーストに入っているが、これからは
ピッチャーとキャッチャーの両方をこなせるよう、育成していくとの事。
キャッチャーは全くの未経験だが、なんとか身に付けてほしい。
posted by ドラ夫 at 22:16| Comment(12) | TrackBack(0) | 技術指導の方針とは? | 更新情報をチェックする

2005年04月22日

淋しい週末

前回の続きです。

2002年3月
 
少年野球に対する取り組みに、妻との温度差がハッキリした我が家。
息子ゲンジにポジション奪取を! と意気込むドラ夫と、
その姿勢に疑問を投げかけた、妻との考え方の相違。
 
それに加えて消極的な気持ちのままの息子を見るにつけ、
ドラ夫は少年野球との関わりを絶つ決心をした。
 
この時点でゲンジの気持ちは妻の影響のほうを受けており、
どちらかが折れなければ方針も定まらないので、
ドラ夫が手を引いた形で落ち着いた。
 
ゲンジは結局2月末まで練習は休み、3月初旬から練習に参加した。
気管支炎を患ってから3ヶ月半ぶりの合流になる。
 
野球との関わりは無くなったものの、父親としての責務は放棄していない。
現場に顔を出すのを控えるのと、自宅練習を止めただけで、
ゲンジのチーム内での動向は気にしていたし、話も聞いたりはしていた。

ゲンジが入団してからは、自然と休日の過ごし方も変わっていった。 
前年までは時間の都合がつく限り、極力練習には顔を出していたが、
これからそれが出来ないと思うと、なんとなく複雑な心境・・
 
「もう早起きしないで ゆっくり眠れる」という嬉しさより、
息子不在の週末を迎える淋しさのほうが強かった。
 
こうして小学3年は終りを迎え、翌月からは新体制・新メンバーでの
小学4年の少年野球生活がスタートしました。
 
続きは後日。

変化球を試す・続報

今朝は時折激しい雨に見舞われたが、
昼前から回復したので、
予定通りに夕方は外で個人練習を行う。
 
先日にお話した変化球ですが、カーブのキレ・コントロールが
かなり進歩してきた。ドラ夫が投げるより制球もよい。
フォームもストレートの時と見た目は変わりがないのもグッド。
 
部活やクラブチームの全体練習では、なかなか投球練習は出来ないので、
この半月程の個人練習では、一定の収穫はあったと思う。
 
もう1つの収穫がありました。
それは前回のコメント欄で【ぶったたけ!】さんから教えていただいた
「オリジナル変化球」です。以下に文面を引用します。

 
(引用始め)
人差し指と中指を揃え気味にし
中指 内外をボールの山へ架け変え
親指の位置を変えて、手首を柔らかくし
内倒し気味で腕を良く振って投げれば縦スラっぽい球
外倒し気味で沈んで押し出す用にインコースへ投げればシュートに成ります。

肘&肩に負担が掛からない、ストレートとほぼ同じ投げ方でのカット風:オリジナル小中学生へ向けの変化球です。    
中指の先を意識するのがコツです。
(引用ここまで)
 
 
この「縦スラっぽい球」 をゲンジは会得成功しました。
球を受けていると、確かにクイックな変化をしています。
最初は腕の振り方の部分で悩みましたが、コツを掴んだようで、
今では自在に操っています。
 
また文面にもありますように、「肘&肩に負担が掛からない、ストレートとほぼ同じ投げ方」ですので、
コントロールもつけやすいです。
 
中学の選手、リトルリーグ等の変化球を認められている小学生の方、
試す価値は大いにあると思いますよ。
 
【ぶったたけ!】さん、勝手に紹介させて貰いました(^^;
でも良いアドバイスを頂戴して、息子も武器を1つ手にしました。ありがとうございます。
 
クラブ練習時に首脳陣に披露するのが今から楽しみです^^

2005年04月21日

子供のグローブ選び

昨年まで息子が所属していた学童チームも、新メンバーで活動がスタート。
ドラ夫も気になったので、日曜に顔を出してきた。
 
今年は珍しく、6年生になってからの入団希望者が3人いた。
その時に思ったのがグローブの事。
 
3人のうち2人が、無名メーカー品の合成皮革グローブをしていた。
合成皮革グローブが悪いとは言わないが、
与える側と使う側が、そうした事に無頓着な場合もあるので、
少し述べてみたい。
 
グローブの値段もピンキリで、少年用でも1万円以上の物も珍しくない。
2人が使っている合成皮革物は、おそらくホームセンター等で1980円位の品だろう。
 
野球に興味の無い人が見れば、見た目は同じような形をしているので、
価格の差がどこにあるのかは判らない場合もあるでしょう。
 
合成皮革グローブの最大の難点は、型がつきにくい事だ。
本皮革の物は使う程に型が馴染んでくるが、合成ではそうはいかない。
 
紐も合成なのでウエブ(網)部分も切れやすい。
それと縫い合わせ部分から亀裂が生じたり、芯も貧弱で、
残念ながら良い部分は安いだけかも。
 
ここはもう少し奮発して、ミズノ・SSK・ZETT・ローリングス・
ナイキ・デサント・ザナックス といった大手メーカー品の本皮革製をお勧めしたい。 
 
上記の大手製でも物によっては、捕球面は本皮革で背面は合成。
という品もあるので注意が必要。玄人なら見ればすぐに判るが、
タグに記載があるので、出来れば前後本革を購入したい。
 
細かい事を言えばポジション別に製品も展開しているが、
「オールポジション用」を買えば無難かも?
 
それとマニアックなメーカーといえば、久保田スラッガー・
ハイゴールド・イソノ・タマザワ等がある。
いずれも職人気質のメーカーで、大手には無い味がある。
人と違った物を。 という人はこうしたメーカーを選ぶのもよい。
 
後は実際に手にはめてみて、しっくりするのを選べばOK
SHOPによっては別料金で「型付け」をしてくれる所もある。
新品のグローブは革が固いから慣らすのに時間がかかるが、
型付けをしてもらえばすぐに使用出来る。
 
息子ゲンジのグローブは 久保田スラッガー製で、
某パ・リーグ球団の、プロ選手のグラブ担当の方に型付けを依頼した。
さすがにその仕上がりは絶品で、息子に使わせるのが惜しい程の逸品でした。
 
高ければよい。というものでもありませんが、
あまり安いのも、長い目で見れば損かもしれません。
 
posted by ドラ夫 at 22:52| Comment(6) | TrackBack(2) | 野球道具について | 更新情報をチェックする

子供の成長

昨日は学校で身体測定があったらしい。
 
最近大きくなったなぁ。 と思っていたが、
身長が先月より3センチも伸びていた。
 
今が発育の真っ最中なのだろう。
食べる量はとっくにドラ夫を上回っている。
 
ドラ夫の身長は 181センチ 70キロ
妻も168センチあるから、遺伝要素ではゲンジも180位は期待出来そう。
 
身体が大きいのはスポーツをする上で有利な要素の一つだと思う。
技術の進歩と同様に、肉体の進歩も楽しみの1つになってきました。
 
頭が痛いのは野球用品の事。
2月に買い与えた金具スパイクが、もう履けなくなっている・・
また新品を買うハメになってしまいました(泣)
posted by ドラ夫 at 14:03| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2005年04月20日

少年野球から手を引く

前回の続きです。
 
2002年2月
 
「よし判った。嫌な事を無理してやる必要はない。野球が嫌なら辞めろ。
これから退団の話をしてきてやるから。」
 
これは脅しで言った言葉ではなく、ドラ夫の本心でした。
人には向き・不向き があります。不向きであったにしても、
熱意があれば続ける価値はあります。逆に言えば、
向いていても、熱意が無ければ意味がありません。
 
息子ゲンジの態度は明らかに「熱意」がなく、
このままダラダラと続けさせても、本人に苦痛を与えるのでは?
と思い、この時はチームを退団させるつもりでした。
  
「アンタの言う事は極端すぎるんだよ! 私は辞めさせないからね!」
また妻が口をはさみます。
 
妻の言い分をまとめると、
 
1.折角 始めた野球は辞めさせたくない。
2.チーム練習をマジメにやれば、自宅の練習は必要ない。
3.それでゲンジがレギュラーを獲れなくても構わない。
 
これはドラ夫の方針とはかなり隔たりがあります。
3の部分はとても受け入れる事が出来ないものです。
ゲンジはどう思っているのか?
 
本人も辞めるのには抵抗があるようだ。
ただ、今は行きたくないという心境らしい。
ハッキリしない態度で煮え切らない。
 
そこでドラ夫は妻とゲンジに言いました。
 
「判った。それならお前達の勝手にしてくれ。
俺は少年野球から手を引く。練習の手伝いにも行かないし、
勿論、自宅練習もやらない。」
 
続きは後日。

適度な休息

今週は中学が家庭訪問週間なので、
授業は早く終わり、部活も短時間で終わる。
 
昨日・一昨日と自宅練習をみっちりとこなしたが、
今日は生憎の雨模様。
宿題を先に済ませるよう指示をして、
夕方から室内練習をするつもりだったが・・
 
息子ゲンジは自室でスヤスヤと眠りに入っていた。
 
新しい環境に加えて、部活の疲れや人間関係等、
気疲れの部分もあったのでは? と思う。
週末はクラブでハードな練習もこなしているし。
 
今日は休息を兼ねて個人練習は休ませよう。
何時まで寝ているか分からないが、
寝顔を見ると、まだまだ あどけない顔つきの子供だなぁ。
 

2005年04月19日

Aチームの控えとBチームの主力

息子ゲンジが4年生の時、チーム編成で揉め事がありました。
 
この年の6年生の人数が少なく、6年生だけでAチームを
編成するのは、少々無理がありました。
 
5年生は大所帯で、4年生・3年生を加えると
軽く20人をオーバーします。
そこで5年生をA・Bに振り分けて、2チーム体勢で
スタートする事になったのですが、問題はその振り分けです。
 
単に実力の優劣だけで決められない事情があり、
これが混乱に拍車をかける事になりました。
 
6年生で補えないポジションをこなせる子をAチームにしたために、
5年生の中では実力が5〜7番手の子がAチームになり、
1〜4番の実力の子がBチームという、逆転現象が起こりました。
 
この決定に対し、メンツにこだわる保護者から異議があがり、
子供の間でも 「なんでアイツがAで、俺がBなん?」
といった不満が湧き上がりました。
 
一方でAに抜擢された保護者は喜んでおり、
とにかくこの時はチームが相当ギクシャクしてました。
 
ところが・・・
 
いざチームが動きだしてみると、今度は新たな不満が出てきました。
Aチームに引き上げられた5年生は、どうしても出番が少なくなるんですね。
もしBチームだったら、バリバリにレギュラーを獲れるのに、
なまじAになったがために出番が減る という皮肉な事が起きたのです。
 
最初は喜んでいた保護者も、試合起用が少ないのに不満が出てきました。
あまりにも自分中心の考えで困りものなのですが、
こうした不満はよくあるものです。
 
「Aチームの控えとBチームの主力」
どちらが良いかは考え方次第。あるいは目標次第でしょうか?
 
プロなら2軍の主力より、1軍の控えのほうが良いのでしょうが、
少年野球ではどうなんでしょう?
ちなみにこの年のAチームの実力は、それ程でもないレベルでした^^
 
県大会上位を狙える実力でもあれば、Aチーム所属のほうが、
良いかとは思いますが。
 
なかなか難しい問題です。

2005年04月18日

退団の危機

前回の続きです。

2002年2月
 
約一ヶ月半の病気療養にも回復の目途がついた頃、
息子ゲンジに個人練習の再開を打診したが、
本人は消極的な姿勢・・・
 
休みグセがついているのかと思い、しばらくは様子を見る事に。
数日後、改めて練習再開を提案したが、ここでも明確な返答が返ってこない。
この時が真冬という事もあり、治ったばかりの身体がまた悪化しても困るので、
チームが活動再開する2月上旬までは息子を自由にさせる事にした。
 
本来なら、この自主トレ期間こそ弱点を克服するよい機会なのだが、
病み上がりという事もあり、思い描いていた練習プランが大きく狂う。
それ以前に、ゲンジのモチベーションが下がっているのも気懸かりだった。
 
そして2月最初の土曜の朝。チームの練習始めの日を迎えた。
厳しい寒さと大量の雪の為、外での練習は出来ず、室内での練習だ。
 
前年は病気のために中途半端に終わっているから、
この初日は元気な姿を皆に見せるつもりだった。ところが・・
 
「寒いから練習に行くのは3月からでいいんじゃない?」
と、妻が口をはさむ。

「そんな甘い考えでどうする! 今年はポジション定着に重要な年なんだぞ!」
とドラ夫が言い返す。
 
「そんなに張り切って何考えてんの!? 雪がなくなってからでいいんんだよ!」
と妻も応戦。
 
「バカ! その間に他の子に抜かれたら、今までの苦労が台無しだぞ!」
 
とこんな感じで妻と言い争いが続いた。
妻は勝負に対する執着がまるで無く、ゲンジが負けても構わない考え。
ドラ夫は、やるからには最善を尽くすのが当然。との思いが強く、両者の主張は平行線のまま。
 それを傍目で見ていたゲンジに決めさせる事になった。
 
「今日、練習に行くか、行かないかどっちだ?」
 
散々迷った末の返答は、「今日は行きたくない・・・」

 
ドラ夫はブチ切れた。
 
「よし判った。嫌な事を無理してやる必要はない。野球が嫌なら辞めろ。
これから退団の話をしてきてやるから。」
 
続きは後日。

2005年04月17日

サインプレーの徹底

今日はクラブチームの練習日。
 
来週の公式戦に備えて、サインプレーの確認練習に時間を割いた。
当然ながら中学になると、サインプレーも高度になると実感する。
 
学童時代にもサインはあったが、中学では求められるプレーの
難易度が高い。バントにしても状況に応じて転がす方向までが問われる。
 
今日は見落としや凡ミスが多発し、予定時間をオーバーしたが、
最後にはなんとか、形には近づいた。
 
守備の時にもサインを多用するし、とにかく頭を使う。
息子ゲンジも真剣な表情で、身に付けるのに必死だ。
 
1年生はベースコーチの役割も叩き込まれた。

打つ・投げる・走しる。 の技術も大事だが、
サインプレーの「状況判断」の大切さを、改めて実感した1日でした。

2005年04月16日

選手じゃなかったけど野球好き

女の子のための『野球、ルール以前のモンダイ』 http://naruohama.ameblo.jp/

というブログを運営されている、鳴尾浜小町さんのトラックバック企画。
「どこが面白いの、野球って…?」 に参加させていただきます。
 
 
私が野球に興味を持ったきっかけは、小学校低学年の時に流行った、
「カルビー・プロ野球スナック」というお菓子のオマケについていた、
野球選手のカードでした(^^;
 
クラスの間で爆発的なブームになり、男の子なら野球に興味がなくても、
そのカードだけは集める! という雰囲気が漂っておりました。
私もその流れには逆らえず、せっせとカードを集めたものです。
 
しかし不思議なもので、ある程度 集まったカードを眺めていると、
そこに写し出されている選手。ひいては「プロ野球」というものに
だんだんと関心がわきあがっていきました。
 
私は当時、東海地方に住んでおり、母の実家が名古屋という事もあって、
必然的に中日ドラゴンズのファンとなりました。

野球に興味が出てくると、アニメ番組より野球中継のほうが好きになり、
そんな私に父は、中日球場(後のナゴヤ球場)へ何度も観戦へ連れていってくれました。
 
その年は巨人のV10なるか? 中日が20年ぶりの優勝か?
という、巨人VS中日 のマッチレース。そして長嶋茂雄がこの年限りで引退を表明。
結果は中日が優勝し、地元が歓喜に湧いたのを昨日のように覚えています。
 
そんな野球好きの私でしたが、某格闘技のチームに所属しており、
少年野球には入る事が出来ませんでした・・・
掛け持ちをするのは認められず、そして良いのか悪いのか、
私はその種目で県大会で2位になり、有望視されたために、
尚更、野球をプレーするのは許されなかったのです・・・
 
野球への想いを捨てきれないまま、私はその格闘技にも力をいれ、
中学も県大会2位。高校では東海大会で団体優勝。
全国大会4度出場を果たしました。
 
しかしながら、野球への未練もずっと持ち続けていたのも事実です。
私の母校は公立ながら野球が強く、甲子園にも過去に3度出場しています。
そんな野球部の練習を横目で見ながら、なんとなく悔しい思いを何度もしました。
 

時は流れて・・・
 
そんな私も息子を持つ事が出来、その子がひょんな事から
少年野球へ入団! 「親の果たせなかった夢を子供に」
という押し付けの考えはありませんが、なんとか頑張ってほしい!
 
私のブログの主人公でもある、息子の「ゲンジ」
勘の良い方なら もう御解りでしょうか?
この子の名前は、元ドラゴンズのエースであった、
「郭 源治」選手から頂戴しました。
 
あのパワーがみなぎる躍動感、絶体絶命のピンチを
切り抜ける精神力。そんな郭選手に少しでもあやかれるよう、
願いを込めて命名しました。
 
私の究極の願いは、息子ゲンジがいつの日か、
ドラゴンズの背番号33を背負って、ナゴヤドームのマウンドに上る事です^^
 
まぁそれに少しでも近づけるよう、これからも息子の練習を見守って
いくつもりです。

最後に、この企画を立案された 鳴尾浜小町さん、
「野球」というものをもう一度見つめ直す よいきっかけになりました。
ありがとうございました。
これをご縁に、今後もよろしくお願いします。
posted by ドラ夫 at 22:22| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | 更新情報をチェックする

2005年04月15日

走塁練習

放課後の部活が終わっても、自宅での個人練習は継続している。
 
今、ドラ夫が力をいれているのは先日にお話した変化球と、
そして「走塁」です。
 
中学になると、学童のときより塁間が長くなります。
それに加えて、キャッチャーの肩の強さがまるで違います。
当然、盗塁の成功率も下がりますよね。
 
又、ピッチャーの牽制技術も高くなり、学童の時のように
「走り放題」 という訳にはいきません。
 
 
今日は砂場を使ったスライディング練習と、
ドラ夫が左投手役をしての リードのとり方。
そして5メートル四方の小さなダイヤモンドを使ったベースランニング。
 
息子ゲンジの足の速さは標準並といった感じ。
小学生時代には、あまり行わなかった走塁練習に、
これからは時間を取っていくつもりです。
 

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